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一寸延ばしにしてきたわけではないが、どうやら三島由紀夫の自作自演映画『憂国』について、私の覚書を記すときがきた。もったいぶっているのではない。昨日書いたように、1966年4月の劇場公開時に見て、その後40年間、記憶を確認する手立てが一切なかったからである。現在のようにヴィデオ・テープやDVDがあればまだしも、パンフレットさえなかった。
三島由紀夫の自死後、夫人はあたかもその予行演習のような感があるこの作品を封印してしまい、巷間にはフィルムがすべて焼却されたという噂まで出回った。私自身はこの流説にはまったく懐疑的だったが、少なくとも夫人の強い意志で、映画『憂国』を一般人が見る機会は失われた。英語版やフランス語版が製作されていたので、それらから無断複製したと思われる画質の劣化したものを、秘密裏に所持したり、アンダーグラウンドの映写会が開催されることもあったと聞いた。私が焼却説を納得しなかったのは、夫人の聡明さを信じて疑わなかったからだ。 私がかつて三島氏にお目にかかったとき、そばに夫人もいらした。夫人は他の客の相手をしており、私とは背中合わせのような位置においでだったので、言葉を交したわけではない。このときの夫妻は揃ってブルーグレイの同系色の服装だった。夫人のほうがややグレイが強いテーラード・スーツで、頭の先から爪先まで寸分のスキもない装いだった。私はといえば忘れもしない、白地に薄いベージュの大柄な格子の入ったモヘアのジャケットを着ていた。私はちらちらと背後に目をやり夫人を見ていた。何か固さのある頬をして、昂然と頭を掲げている風だった。 私はそのときの夫人の姿をいつまでも忘れなかった。仲の悪い夫婦だったという野坂昭如氏の指摘がある。後に多くの風説と戦い、また三島のプライベートな部分へ言及した刊行物に対して、一切の遺漏を許すまいと自ら誓ったごとく、訴訟にもちこんで戦っている報道に接するたびに、私は自分の目で見た夫人の姿を思い出した。思い出したからと言って何か分るわけでもなかった。が、ただひとつ、作家三島由紀夫が創作したものだけはそれが如何なる物であろうと、この人は決して滅却しはしないだろうと、ほとんど確信のように私は思ったのだ。この夫人のプライドは、自分への裏切りにさへ裏切りという言葉を噤ませてしまう態のものだ、と。 じつは昨年の8月、サンケイ・スポーツ紙が、『憂国』のネガ・フィルムが三島家で発見されたと報じた。その後新潮社版全集の付録としてDVD化された。私はそのDVDを所持していないし、見たこともないのだけれど、「やはり夫人は焼却などしなかったのだ」と、かつての私の確信に似た思いをふりかえったのだった。 長い前説となった。そういうわけで、40年前の記憶をもとに映画『憂国』について述べようとしている。 監督・製作・原作・脚本・美術;三島由紀夫。演出;堂本正樹。撮影;渡辺公夫。出演;三島由紀夫(武山信二中尉)、鶴岡淑子(妻麗子)。 三島由紀夫は八面六臂の活躍である。どうしても撮りたくて、ポケット・マネーで製作したのかもしれない。白黒フィルム、上映時間30分弱の短篇。 【あらすじ】 近衛聯隊の武山中尉は新婚だからという友の情けで、2.26事件の決起からはずされた。しかしその反乱軍を処罰せよとの命令が下ったのである。国と友情との板挟みになった武山中尉は切腹によって自決し、それを見届けた後に妻麗子も自死することを決意する。二人は死を前にした最後の性愛を営み、このうえない悦楽の高みに昇る。やがて軍装を整えた中尉は、白衣に着替えて端座する妻の前で軍服をはだけ、切腹して果てる。そして妻もまた血みどろの夫の屍体のうえに折り重なるように倒れるのだった。 映画は冒頭で、巻物がひろげられ武山中尉が切腹を決意するまでの経緯が毛筆でつづられる。この作品はセリフが一切ない無言劇である。バックミュージックとして、終始、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』が流れている。セットはほとんど何もない。能舞台のようである。事実、堂本正樹の演出は能を意識しているのだ。武山中尉が登場する帰宅シーンは、軍帽を目深にかぶり、ただ口許と顎だけがのぞくだけで表情がまったく見えない(表わさない)。その姿は、能面で素の表情を殺いだシテが橋掛をしずしずと歩む姿に重ねられている。演出としては非常に巧みである。この登場場面で、この映画の様式を完璧に提示してしまっている。 そのような抽象的な舞台で、武山中尉と妻麗子の全裸の性愛がくりひろげられてゆく。カメラは演じる三島の鍛えられた肉体を嘗め、愛撫する麗子の表情がしだいに昂揚してゆく。とはいえ、三島はやはりアマチュア、性愛の情感をその肉体に表現することは無理というもの。裸体すなわちエロティシズムではない。 そして切腹のシーン。「誠」という掛け軸の前に武山中尉は坐す。その右斜、向かい合うような位置に妻麗子が坐る。これもまた能の形である。麗子はツレである。 このシーンは凄絶である。武山中尉は軍衣をくつろげ、作法に則り、左の脇腹に刀を突き刺す。真一文字に引いて腸を切断し、右の脇腹までもってきて刃先を上に向ける。ものすごい血が迸り、臓物がとびだす。(観客席は固唾を呑むというより、辟易してグェと声が洩れたものだ。) 日本映画の時代劇のなかで、私はいくたびも切腹シーンを見てきた。たとえば『切腹』という小林正樹監督作品(1962)。世の中が安定して戦もなく、仕官の道もなく、困窮した浪人侍が武家屋敷の玄関で切腹させてくれと申し出る。金を貰う魂胆なのだ。切腹といっても、刀身はとうに売りはらって竹光(たけみつ)である。ある屋敷でいつものように切腹を申し出ると、「どうぞ」という返事。竹光であることを見抜かれていた。引くに引かれなくなった浪人は、その竹光を腹に突き刺して悶絶する。---そんな作品もあったが、いまだかつて臓物が飛び出る映像は見たことがなかった。映画史にもないのではなかろうか。その点では特筆に値する。 三島は渾身の演技である。このシーンが撮りたかったことは誰の目にもあきらかで、それしかない映画といってもよい。 三島の自死後、11年経て、母堂が『週刊宝石』(昭和56.12.5)で「あの子がしたかったのは、この事だった」と述べた。母堂は、自死直後にも、親しい弔問者に同様の言葉を述べていることは、それらの客が書いたもので早くから一般に知られていた。この、母堂の「この事」というのが、どの事なのかは、厳密に問うと曖昧だ。自衛隊司令部において決起を呼びかける事なのか、呼びかけた後に自決する事なのか、それとも切腹して果てる事なのか。 世に切腹マニアという人達がいる。それをとやかく言うつもりは私には全然ないが、彼等(彼女等)は兎に角切腹ゴッコが大好きで自らの腹に突き刺すまねをしては「アアアー」「ウウウ」とやっているのだとか。三島もそうだったといわれている。映画『憂国』の演出をした堂本氏もそのような証言者のひとりである。私は、私が目を通した様々な文書から総合的に判断して、「この事」とは「切腹」であると解釈している。 それはともかく、彼の情念がつくり出したこの切腹シーンによって、じつはこの『憂国』、見られる映画になっていると言っても過言ではあるまい。30分という長さにしてはカット割りが多すぎるという欠点はあるが、それはアマチュアが演じているのだから、長回しなどできるはずがない。そのため情感の盛り上がりが殺がれるという怨みはあるのだ。しかし、この映画は、何かを撮ってしまっている。人間の何かとんでもない真実を。それは物語とは全く関係がない。映画芸術としての表現の過剰(やり過ぎ)が、ストーリーを超えて、人間の常ならぬ情念を捉えてしまった。三島由紀夫の小説は、『憂国』以後は、物語はお膳立てにすぎなくなったというのが私の見方なのだが、その小説を映画化した本作品は、そのことが一層あらわになっていると思える。だから、私がこの作品が映画表現として見るべきものがあると言うのは、むしろドキュメンタリー映画が捕捉する「真実」、曰く言いがたい人間の一面を映像として捉えることができたというに等しい。 40年ぶりに記憶の映像を掘り起こしながら述べた。三島由紀夫のつくった映像はいまだ色褪せずに蘇ってきた。そのことだけでも、端倪すべからざる短篇映画だと言えるかもしれない。DVDで再び見ることがあれば、また別な考えが生まれるかもしれないけれども。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 7, 2018 04:25:05 AM
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