昨夜完成したはずの50号の新作を眺めているうちに、またぞろ少し手をいれたくなった。即座に決断ができずに、もし手直ししたなら全体の印象はどうなるだろうと、頭のなかに二つの画面を並べてしばらくグズグズしていた。完成したはずの作品に加筆するというのは、勇気、・・・まあ、勇気と言っておくけれど、そんなものが要るのだ。失敗することだってある。拭きとってしまえば済む程度ならいいが、元に戻らないこともある。
しかし、私はやはり手をいれることにした。3カ所直した。そのうち1カ所はまったく新しいものを付け加えた。
結果は・・・、加筆して良くなったと思っている。より一層絵が強くなった。
私は次々とまったく異なるイメージを描いている。構図を少し変化させてだけで同じ絵を生涯描きつづける画家がいるけれど、そのような方針は私の性(しょう)に合わない。きっと退屈してしまうだろう。私は自分の頭にうかぶイメージを絵として定着して、自分で驚いてそれを眺めているのだ。「ハーッ、こんなものが俺の頭のなかに渦巻いていたのか!」と。
そんなわけで、私の「新作」は私自身にとっていつも実験的である。イラストレーションはあまり実験的なことはできないが、いわゆる絵画としての作品は、近年、特にそういう傾向にある。実験的というのは絵柄や構図だけのことではなく、技法的にもかつて経験したことがない、それゆえ多分に試行錯誤をしながら制作しているのである。とはいえ、そこは長い経験と修練があるので、そこから演繹的に対処しているのではあるが。
今回の新作も、『アダムとイヴの婚姻』あるいはその前の『花と礫のなかのアダム』などで試みてきた技法を、踏襲・発展させている。画面のなかに数種の技法を混在させているのだ。次作がすでに下塗りの一部ができているのだが、この作品のなかでは、今回までの技法をさらに複雑に発展させてみようと考えている。頭のなかに出来上りのイメージがあって、しかしそういう画面を作る方法が見つかっていない。手順をシミュレーションしてみるのだが、随分複雑で、頭のなかではまだ手がついていけないのである。
お客様方は、いったい何をやっているのかとお思いかもしれない。
絵というのは、私のような例にかぎらず、描くというより、実際のところ作るものなのだ。
このところ、仕事場のなかだけで過しているので、このブログ日記もまったく代わりばえしない。それでも毎日お客様がお訪ねくださっている。まことに申しわけないです。本当にありがとうございます。
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