印象派の画家クロード・モネ(1840-1926)の自筆メモや、ルノワールやセザンヌなどの画家たちから送られた250通以上におよぶ未公開の手紙を、モネのひ孫が売りに出すそうだ。朝日新聞の夕刊がつたえている。
のちに印象派と呼ばれることになる美術史運動は、そもそもモネの描いた《印象・日の出》(1872年作)というその題名に由来している。当時フランス美術界で画家として認められるためには、公募展であるサロンに入選するというのが常道であった。その落選者たちがあつまって、一種の示威行動として、1874年に写真家ナダールのスタジオで開催したのが第1回印象派展であった。《印象・日の出》はその展覧会に出品された。出品者は他にルノワールやセザンヌやドガ等がいた。展覧会はさんざんな不評だった。作者の感覚を重視するという画法が、旧来の写実的な絵になじんでいた観衆にはとうてい支持できるものではなかったのだ。
ちなみに、映画『タイタニック』で例の女性主人公がデカプリオに裸体画を描かせるシーンで、豪華な船室にはパリで買い集めてきたモネの《睡蓮》やドガの《踊子》、あるいはピカソらしい作品が登場した。タイタニック号の遭難事件は1912年のこと。当時、あるいはそれより早い時期に、アメリカの大富豪たちが印象派の絵画を購入してアメリカに運んでいたのは事実である。ニューヨークのヘイヴ・メイヤー夫人がドガにいちはやく目をとめ、画家から直接非常な安値で作品を購入し、現在、アンドレ・メイヤー・コレクションとして知られる素晴らしいコレクションをつくりあげてもいる。
このたび競売に出されるモネ宛の手紙類は、どうやら印象派の画家仲間達の親密な関係を知る上で重要な資料となりそうだという。落札予想価格は、およそ7,600万円とのこと。ただし332のロットに分けるそうなので、貴重な資料もバラバラになる可能性がおおきい。現在の所持者であるモネのひ孫には、それらを遺贈する子供がないのだそうだ。それで結局、売ることにしたらしい。どこに落着くかは知らぬが、私はちょっと興味をひかれた新聞記事である。
新聞記事といえば、同紙に、「弥次喜多道中裏話」という見出しで、奈良大学の近世文学の永井一彰教授が京都市内の古美術商で、江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九(1765-1831)の手紙を発見したことが報じられていた。
『東海道中膝栗毛』というより、弥次さん喜多さんといったほうが分りよいかもしれない。原本を読んだことがおありなら承知だろうが、若い頃に衆道(ホモセクシャル)の関係にあった弥次さんと喜多さんが、いまや年を重ねて気のあった良い友達として東海道見物の旅に出るという仕組み。漫才コンビのように、滑稽な事件をまきおこしながら各地の名所名物が紹介されるというわけだ。
永井教授の発見した手紙は、この小説を書くために一九が名古屋方面へ取材旅行をした、その折に世話になった人への礼状だという。もちろん今まで存在を知られていなかった手紙である。江戸時代の小説家の裏話として、これもまた面白い発見である。
ついでにニュース種をもうひとつ。
京都大学の小山教授等のグループが、いまからちょうど1,000年前、1006年5月1日に藤原定家が『明月記』として知られる日記の「南の空に大客星があらわれた。火星のようだった」という記述が、超新星の爆発(ビッグ・バン)であったことを証明した、というもの。超新星の爆発というのは、星が寿命がきて大爆発をおこすことをいう。藤原定家の記述した現象は、小山教授等の計算によると三日月より明るかったようで、それは人類が見た最大の明るい天文現象であったという。そして、定家卿の記述は、天文学史上の重要論文と位置付けることができるそうだ。
フーン、と唸りながら目をとめた、文化的な新聞記事三題である。
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Last updated
Dec 7, 2006 01:52:50 PM
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