ことし購入した古書を片付けながら、ずらずらと並べて書いてみたが、まだ15册洩れていた。どうせならそれ等も記録しておこうと思う。
73) 今村昌平『今村昌平のええじゃないかエッセイ』株式会社アシーネ
74) ビートたけし『仁義なき映画論』太田出版
75) 岡本嗣郎『歌舞伎を救った男』集英社
76) 戸板康二『ぜいたく列伝』文藝春秋
77) 水上勉『精進百撰』岩波書店
78) 竹田真砂子『三千世界の烏を殺し』祥伝社
79) 佐江衆一『自鳴琴からくり人形:江戸職人綺譚』新潮社
80) 中村亮平『朝鮮慶州の美術』改造社出版
81) ポール・ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』岩波文庫
82) 辰野隆選『リイルアダン短篇集 上』岩波文庫
83) メーリケ『旅の日のモーツァルト』岩波文庫
84) ポール・ゴーガン『ノア・ノア』岩波文庫
85) 高津春繁・斎藤忍随『ギリシア・ローマ古典文学案内』岩波文庫別冊4
86) 武田祐吉編『神楽歌・催馬樂』岩波文庫
87) トレルチ『ルネサンスと宗教改革』岩波文庫
以上。まずまずの読書量か。
眺めると、小説に関するかぎりいわゆる純文学がまったくふくまれていない。時代小説ばかりだ。これは若いころとは完全に反転した傾向である。20代のころは、『群像』や『文学界』や『新潮』、あるいは『文藝』という文学誌を毎月購読し、そのうえで新刊書を読んでいたものだ。たまに時代小説がまざることはあっても、せいぜい五味康祐の硬質な切って捨てるような文体の作品、また国枝史郎の伝奇時代小説のようなものだった。
仕事関連以外で小説を読むことがほとんどなくなったのだ。純文学といわれているものが、まず時間をかけて読むに足ると思えなくなった。自分の人生のほうがずっと重く感じるようになり、小説の主題が、どうでもいいつまらないことに頭悪気に拘泥していると、捨て置けるほどのものと思うようになったのである。
かわって面白味を感じるようになったのが、それまで一顧だにしなかった大衆時代小説である。そこには純文学が忘れ去った物語のおもしろさがあった。たしかに一読してしまうと、ほとんど忘れてしまうほどなのだが、小説のなかで人物たちが動き回る、そのイメージの喚起力がじつにおもしろい。
そして、これは作家の資質もあるのだけれど、資料や史料をよく読みこなしていることがよくわかる。それらに示された事実に制約されながら、作家の想像力がはばたきだす、そこが面白い。
近頃では、いままでまったく知らなかった作家をみつけるのを楽しんでいるのである。
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Last updated
Dec 13, 2006 11:37:15 PM
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