取り込みわすれていた夕刊を取りに、すでに夜がおりた戸外に出た。ふと空を見上げると月が輝いている。周囲に虹の暈がおぼろにとりまいている。
それを見て、54年前、小学校1年生のときの担任樋口カエ子先生を思い出した。私は絵日記に月の暈を見たことを書いた。すると先生は私の記述につづけて、その科学的な説明を書き加えてくださったのだ。
樋口先生は私にとって最良の先生であった。どうなさっておいでだろう。80歳を越えられたことだろう。お元気だろうか。
・・・先生、先生がプレゼントしてくださった折畳み式のルーペを今でも大切に持っておりますよ。先生がいつも首にさげていたリボンは、とうの昔にボロボロになって失われ、ルーペに刻まれた「K.Higuchi」というイニシャルも私の手のなかですっかり薄れてしまいましたが、いまでも私はときどき仕事で使っています。
54年前の先生の御年賀状も保存してあります。
先生がおしえて下さった鱗粉転写法による蝶の標本も、油紙につつんで保存箱にはいっております。
私の描く絵のなかにしばしば蝶が登場します。昔、パリで展覧会をした折り、ある評論家が、「ヤマダ・タダミは蝶に先導させて秘教の世界にわれわれを連れてゆく」と書いたものです。・・・先生とすごした1年半という時間が、私の画家としての人生の基盤に豊かによこたわっています。
樋口カエ子先生、お元気ですか?
![ruper](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/56/0000100056/52/imgca78cd9bzik4zj.jpeg)
1953年(昭和28)、樋口先生は御自分が使っていたルーペを贈ってくださった。私の宝物である。大切にするあまり、どこかにもぐりこませないように、現在は仕事机の抽出のなか。