せっかくの週末だというのに、今日はなんだか調子が出ない。体調が優れないと言うのではなく、いつものような沸き上がる活力がない。めずらしいことだ。
買い物ついでに例のごとく近所の大型古書店に立ち寄った。しかし書棚を丁寧に見てゆく気持になれない。それでも3册抜き出して購入した。
●立原正秋随筆集『雪中花』(1996年、メディア総合研究所刊)
立原正秋は1980年に亡くなっている。この随筆集は生前刊行されたものを発行元をかえて再刊。奥付を見ると、刊行後1週間で第2刷が出ている。ことほど左様に、立原正秋のエセーには定評がある。私は学生時代に文芸雑誌に発表される小説を読む程度で、立原文学の良き読者ではないのだが、エセーは読む。
あまり知らずに言うのも気が引けるけれど、この人の内部には暴力性というか荒魂(あらみたま)が存在するようだ。しかし、それを包む手弱女(たおやめ)ぶりがある。和魂(にぎみたま)である。剣を使うらしいが、それを治める心があるのであろう。
私はかつて某氏邸に招かれて著名な剣道家に会ったとき、その人が「道を歩いていると、ちょいちょい因縁をつけられるのです」と言ったので、さもあらんと思ったものだ。つまり、いつでも心身に殺気を帯びているのだ。この人は無手勝流ということを知るまい、と。自分で言うのも馬鹿げているが、私のように、どんな人にも開けっ広げの心をもてないのだろう。この人は私をその剣で一刀両断に殺すことができても、ついに私の精神を曲げることはできまい、と。
立原正秋もまた、たしか吉行淳之介との座談で、「因縁をつけられる」と言っていた。やはり彼に殺気が立つのであろう。立原正秋がどのような剣を使うひとか知らないが、その殺気を心身から消すことが、彼の剣であり、文学であったかもしれない。三島由紀夫が死んだときに書いたエセーを読むと、おのずと知れることはある。
●吉行淳之介・山口瞳対談『老イテマスマス耄碌』(1993年、新潮社刊)
いま述べたばかりの座談の名手の1册。吉行淳之介には〈恐怖対談〉シリーズがあって、私はこの座談集のファンである。立原正秋の小説はほとんど読んでいないが、吉行淳之介のほうはかなり読んでいる。短篇小説は、初期の『薔薇販売人』のようなものから、たぶん全部読んでいるはずだ。「鞄の中身」や「菓子祭」、あるいは「食卓の光景」など、好きなものがたくさんある。
さて、きょうの1册は、そんな私が読み落していたもの。帯のコピーがおもしろい。そのまま引用させていただこう。
〈老後がマスマス楽シクナル本 近ごろ隠居願望いちじるしい山口瞳翁と、もっか四種の宿痾を抱えて疲労困憊の吉行淳之介旦那が交す、世にも不思議な「コンニャク問答」五篇。 青年諸君よ読み給え! 君は人生の「前途洋々タル」を知るだろう。壮年諸兄も読み給え! 兄等は「未ダ人生ノ域ニ至ラザル」ことを悟るだろう。そして熟年に一歩足を踏み入れた諸氏、「熟年老イ易ク、カク成リ難キ」ことに気付かれよう・・・。〉
●村上世彰・小川典文『日本映画産業最前線』(1999年、角川書店刊)
日本の映画ビジネスについての多方面からのデータとその分析。
以上。
あまり元気がないときは、おいしい本を読み、おいしい御飯を食べるにかぎる。夕食は、鮨にしよう。
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Last updated
Dec 10, 2007 09:43:19 AM
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