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昨日の日記は「春嵐」という言葉で書きはじめた。春のいわゆる二字熟語は、「春風」「春泥」「春雷」「春光」「春暁」「春愁」「春眠」などあり、「春闘」という言葉とともにこれらはコンピューターのワード・プロセッサーでもそのまま出て来る。ちなみに「春嵐」は出てこない。出てこない言葉はほかに「春燈」「春昼」「春暮」などがある。それぞれ、春の暖かい灯り、春の明るいのんびりした昼間、そして春の夕暮れのことである。
日本にはその習慣はないけれど、中華街で見受ける正月祝賀の門飾りは「春聯(しゅんれん)」という。中国語としての発音はチューン・リアン(chun lian)。赤い紙におめでたい文言が書かれている。「長楽萬年」とか「春来喜気迎」とかである。
で、ひとつ思い出した言葉がある。ためしに広辞苑を引いてみると、収録されていない。そして、なるほどなぁ、となんだか不安定な納得をした。「春窮(しゅんきゅう)」という言葉である。
中国ないし韓国・朝鮮からの言葉らしい。その意味は、「4月から5月にかけて小麦収穫前の食糧が乏しい時期のこと」である。
この言葉が、現在、国語辞典に収録されていないということは、死語になったのであろう。農業技術が発達し、四季を問わず食糧が生産されるようになり、さらに経済のグローバル化・貿易の自由化によって海外生産物も豊富に入って来る。日本で飽食の時代といわれるようになって久しい。テレビはのべつまくなく食事に関する番組をおもしろおかしく放映し、あまつさえ高級食材といわれる物をふんだんに使って到底食べられぬようなものを作って廃棄して遊ぶ。「春窮」などという言葉に思い至るはずもない。
だが、私たちはほんとうに窮乏からほど遠いところに暮らしているのだろうか。
最近、小麦製品がつぎつぎに値上がりしている。私は、趣味ではなく、自分の身は自分で育み守るという信念から、日常的に自分で料理をする。だから食料品の価格についてはおおむね知っている。パンの値上がり等、報道されていることは針小棒大なことでもなく、地域限定の事実でもない。牛乳の生産が減少するとバターが売場から消え、天候不順はたちまち野菜の価格に跳ね返る。自分達の食べるものを他国に依存している日本は、あちらの国が風邪をひけば風邪をひき、こちらの国がクシャミをすればクシャミをする。生命の根幹を他国に握られているわけである。
このところさすがに安閑としていられなくなり、相変わらず食い物のバカ番組を放送する一方で食糧自給問題を特集する番組も見受けられる。
随分以前、私もこのブログで、日本の食糧自給率がいわゆる先進国のなかで最下位、それもほとんど崖っぷち状態であることに触れた。一般的資料ではフランスが130%、アメリカ合衆国が120%で、この2国の食糧政策は他を抜きん出ている。今日の世界貿易状況下では、自給率50%であれば不安はないといわれる。ドイツは91%、イギリス71%、韓国が50%。そして日本は40%。
しかし日本の40%は現実を反映していないという見方もあるようで、実際は30%台ないしは28%。あるいはそれ以下という数字を示す意見もある。飽食と飢餓が背中合わせになっているのが日本の実際の姿だといえるかもしれない。
農林水産省は食糧自給問題をおろそかにしているわけではなく、むしろ真剣に取り組んでいるのであるが、この問題をさしたる重要問題ではないと一蹴する意見もないではない。問題は石油であって、たとえ戦争になっても、食糧はどうにかなるが石油はそうはゆかない、というのである。石油が問題なのはまったくそのとおり。だが、食糧がどうにかなるというのは、むしろ事の全体が見えていない証拠だろう。
今日、ガソリン価格が高騰しているが、これが食品その他の価格高騰に結びついているのは言うまでもない。生活必需品のあらゆるところに石油が使われており、ガソリン価格は物流経費に直結し、季節知らずのハウス栽培の燃料費に跳ね返る。日本人にとって食糧と石油はまったく切り離せないのだ。
「たとえ戦争になっても、食糧はどうにかなるが石油はそうはゆかない」という考えは、じつはかつて日本が大平洋戦争に突入していったときのその潜在意識にあったことである。いや、直接の動機といってよいだろう。昭和天皇語録を読むと、「石油はどうなる」と繰り返し述べている。
戦争へと進み入ったのみならず、軍司令部の愚かさは、兵隊の食糧を海外現地調達にまかせたことだ。現地調達できなかった場合のことなどまったく念頭になっかったかのようだ。とくに南方派遣軍は、ジャングルには豊富な食べ物が生っているなどと冒険小説のような幻想のもとに送りだされたという話さへ伝わっている。この幼稚さが、あの悲惨な兵達の大量死を招いた。敵に殺されたのではなく、自分達の愚かな司令部に殺されたのだ。あまりに悲しくて、笑いがこみあげてくる。
もしも戦争になったら・・・、ハハハハ、食糧自給率40%の国が、何を寝言を言っている。日本は自分達をまきこむ戦争のセの字も口にしてはならないのだ。それは夢物語ではなく、それこそが現実的な私たちの姿。・・・外交技術を磨かなければ。
というわけで、国語辞典から消えてしまった「春窮」という言葉だが、飽食の底には巨大ナマズのごとく横たわっているのである。
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Last updated
Apr 19, 2008 11:34:40 PM
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