さきほどまで黒澤明『用心棒』を見ていた(NHK・BS2、PM21~22:40)。ビデオをふくめてもう何度もみているのだが、何度見てもおもしろい。今夜は声を出して笑いながら見た。笑いながら見たのは初めてのような気がする。
この映画については今さら語る必要もないだろう。オープン・セットのすばらしさ、出演俳優がことごとくすばらしいこと。宮川一夫の撮影のすばらしいこと、音楽のいいこと。お題目だけならべておこう。
1961年5月に封切公開されたようだが、私は例によって会津若松で封切で見ている。高校に入学してまだ1ヶ月ほどしか経っていない頃だから、私は父の会社の子弟のための学生寮にいた。まもなく退寮してアパートで自炊生活をはじめるので、『用心棒』は学生寮住まいで見た最後の映画になる。
私は映画を見て帰寮してから、先輩のAさんとUさんを前に全篇を語って聞かせた。二人は「目に見えるようだ」と喝采してくれた。酒蔵で仕込みの大樽から酒が噴出して徳右衛門と丑寅一家どもがてんやわんやの騒ぎになるシーンは、自分ながらうまく語れたと思ったものだ。
まあ、そんな思い出があるのだが、それから4年くらい経って、私が大学生になって東京暮らしをはじめて間もなくの頃ではなかっただろうか。当時、新宿中央口の前に「聚楽」というレストラン喫茶店があった。ちょうどその店の前を往来する雑踏のなかに、『用心棒』に出演していた力士・大内山さんの姿をみとめたのである。
大内山といっても若い方は知らないかもしれない。プロレスの馬場さんのような感じの「巨人」力士で、おそらく2メートルを優に越す背丈だったと思うが、その特異な風貌とともに人気があったのである。『用心棒』のなかで大内山さんは、バクチ打ち丑寅の子分を演じていた。まさかその人と新宿ですれちがうとは思いもしなかった。雑踏の頭の上に、ひときわ抜きん出てノッシノッシとやって来たのだからタマゲテしまった。「ウヘ~、丑寅の子分だ~!」と。
そんなことがあったものだから、今夜は別な懐かしさもおぼえながらの『用心棒』だったのである。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう