夜中に降りつづいていた雨は朝方にあがり、昼前には気持の良い日射しとなった。しかし青空のなかに、まるで大海の浮島のように黒雲がある。上空には風があるのだろう。北から南に雲が動き、午後になって黒雲が通過するたびにポツリポツリと雨が降った。天気雨である。
猫のトイレ用の砂の買置きがなくなったので、運動を兼ねて自転車をひっぱりだした。途中で黒雲の下にはいると、雨がおちてくる。それを子供のようにおもしろがって走るのだが、薄いベージュ色のコートは雨染みで黒く汚れた。数日前にクリーニングしたばかりなのに・・・。美術家の某女史であるまいに、水玉模様のコートになってしまった。きっと空気中に春埃が舞っているのであろう。
梅もそろそろ盛をすぎた。かわって橘が咲きはじめている。五分咲きくらいか。その香りが住宅街の小路にただよう。タンポポも咲いている。
いつもの通り道に梅の大木がある。白い雲の靉靆(あいたい)とするごとく沢山の花をつけているが、この梅もすでに盛をすぎ、木の下はハラハラと花弁が散って、香は薄い。しかしあまり見事なので、自転車をとめて見上げた。そして奇妙なことに気がついた。茂りに茂った枝のなかに、ひときは白い花をつけているものがところどころにある。よく見ると、この木そのものは花弁が一重の梅なのだが、その枝からわかれている枝のなかに八重の花がまじっているのだ。つまり、大枝からいくつもの枝が出ているけれど、そのなかに花弁が一重の枝と八重の枝が混在しているのである。八重の花をつけている小枝は、花の重なりが厚いだけにポッテリと白さが濃いのである。
これはいったいどうしたことだろう。幹に別の種類を継ぎ木したというのなら理解できる。が、一つの幹から出ている何十何百という枝の、その一枝のなかの小枝のなかに違う種類の花を咲かせているものがあり、しかもそのような枝がいくつもあることを、私は植物学的にちょっと理解できない。
花弁が一重であることと八重であることは、遺伝子レベルの問題ではなく、多岐にわかれた小枝の何等かの環境条件によるものなのだろうか。
・・・とにかく、私はとても不思議な梅を見てしまったのである。さてこの問題、解けるかしら?
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