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なるほどと思い、そぞろ寒気がしたのは、日本国民の遵法(じゅんぽう)精神が深いところで崩壊しつつあるのではないか、と感じたから。
尖閣漁船衝突映像の流出問題に関して、今日の朝日新聞の伝えるところによると、市民から映像の投稿者を擁護する声があがっているとのこと。「映像が見られてよかった」とか「国民の知る権利に応えるもの」とか、「海上保安庁が現場で頑張っているのが分った」などという声だそうだ。一方で、「統制無視の姿勢に危うさを感じる」という声もないわけではない。このような投稿の是非をめぐる意見は、いわゆる識者といわれるような人たちをも二分しているらしい。
朝日新聞はまた、東京都知事石原慎太郎氏が、「インターネットに流れている尖閣諸島のあの漁船の衝突問題の映像を見ましたが、あれ、何で(日本)政府は発表しないのかね。(中略)どこの局所の人間か知らんけども、冗談じゃねえやということで、国民の目に実態を見てもらいたいという形であれ(映像)が流出した、結構なことじゃないですか」(新聞よりそのまま引用)という、定例会見での発言を報じている。
さて、冒頭で私が「なるほど」と言ったのは、尖閣漁船衝突映像の流出問題、および郵政不正事件における検察官による電子メディア証拠物件書き換え問題、そして遡って、自衛隊の田母神元航空幕僚長が解任されることとなった政府見解と異なる誤った歴史認識にもとづく2008年公表の論文問題等々を瞥見するに、なかんずく、漁船衝突映像流出と田母神論文公表問題は、文民統制違反(映像流出問題は捜査が開始されたばかりだが)という共通性のみならず、これらの事件を是とする反応が、まさに石原慎太郎氏がヤクザ口調でまくしたてる、そのような発言を臆面も無くおこなう異様な精神にもとづくと見てとったからである。
手前勝手な正義をふりかざして、現社会の基盤としている法を手続きなく無効としてふるまう。その基盤の箍(たが)をはずしてしまえば、もはや社会に「信」も「真」も失われてしまうものを。検察官による証拠書き換えはそれを示している。映像の流出問題で、投稿者や海上保安庁に対して擁護の声があがるのは、海上保安庁を告発した検察に対する不信のあらわれであると見ることもできるのではあるまいか。
法治国家の理想というのは、じつに脆いものなのだ。脆さ承知で堅守することによって、はじめて社会に社会的真実とか社会的な信頼・信用がうまれる。
石原氏の発言は、私としては前半部分は同意できる。すなわち映像を隠蔽する理由がなへんにあるのか、政府から納得いくようには説明されていないからだ。しかし、氏のヤクザ口調の後半は、なんら根拠のない憶測でしかない。田母神問題における肯定論者と同じ、誤った愛国主義のプロパガンダの臭いがする。
このような国の枢軸にかかわる者たちや、その周辺の重要な地位にある者たちの手前勝手な遵法精神に悖(もと)る行為は、一般市民、とくに力のあるジャーナリズムによっても行われている。たとえば、少年犯罪事件の報道において顔写真を掲載するなどである。かつて、いわゆる酒鬼薔薇事件で、某大出版社の週刊誌が少年の顔写真を掲載し、このような凶悪犯罪においては少年法の規定は無効であると弁じた。正義は自らにあり、その違法行為は大衆に支持されているというのだった。
厳罰に処すべき司法がこれを見過ごしにしたため、ここにおいて、法は、その場その場の御都合によってどうにでもなってしまった。司法はそうは思っていないかもしれないが、市民にそのような手前勝手な傲慢な解釈を許してしまったことは事実であろう。
「日本国民の遵法精神が深いところで崩壊しつつあるのではないか」と私が憂慮するのは、最近ひんぱんに報道される学校教師の教育に悖る行為・授業などもあわせて思いめぐらせ、こうした「とんでも教師」が出現することとも、じつは無縁ではないのではないかと考えるからだ。法感覚、人権感覚の鈍磨である。
上に述べた問題は、今後、「事件」として処理され、それで終るであろう。われわれの精神の深部でおこっているかもしれない、ひとつの文明の崩壊に気がつかないままに。
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