原節子さんがデビューして今年は75周年だそうだ。公衆の面前から姿を消して48年。私の老母と一歳違いで、誕生月は同じだから、90歳になられているはず。お元気なのだろうか。消息を知るものは誰もいない。
さて、先日18日に、私は一枚のDVDを入手した。その日に発売された雑誌「新潮45」の付録としてそれは挟み込まれていた。いや、そのDVDを入手するために、私は雑誌を買ったのだが。
雑誌は〈デビュー75周年特集 伝説の美女「原節子」を探して〉と銘打ち、さらに、〈DVD 原節子と北方領土 15歳の”幻”映像〉となっている。
『北方領土』という謳い文句は、新潮社の社是にのっとった一連の秘めたる‘プロパガンダ’、と私は受け取る。15歳の原節子とは無関係。
そのDVDに収録されているのは、内田吐夢監督、昭和11年の無声映画作品『生命の冠』である。山本有三の戯曲を映画化したもの【後註】。樺太の蟹缶詰製造工場が、法の規制に従って操業し苦境に立たされ、ついに工場を乗っ取られるという物語。この映画制作の前年にデビューした原節子は当時15歳、工場社主の妹を演じている。
映画『生命の冠』のフィルムは、現在、3本が確認されているという。東京の国立フィルム・ライブラリーに2本、松田春翠映画フィルム・コレクションに1本。前者は劣化がはげしく、上映が不可能。DVD化されたのは松田コレクションのフィルムである(17日付け朝日新聞による)。
原節子の出演場面は、全部あわせても、わずか数分。しかし、言わず語らずのわずかな仕草、わずかな顔のうごき目のうごきの芝居は、私の贔屓目では決してなく他を圧倒している。まさに後の大女優の片鱗が覗く。
この作品の後、同じ昭和11年に、山中貞雄監督の『河内山宗俊』、渡辺邦男監督『検事とその妹』など、デビュー後1年に満たない間に6本に出演し、翌12年の山本薩夫監督の『母の曲』(前・後編)では主演する。そして、戦争をはさんで、昭和21年に黒澤明監督の『わが青春に悔いなし』、昭和22年に吉村公三郎監督で『安城家の舞踏会』を撮り、昭和24年、『晩春』で小津安二郎監督と出会う。
映画史の記録で知るのみだった作品をこのようなかたちで初めて観ることができたのは嬉しい。しかし、考えさせられたこともある。
ひとつは、アメリカにおける古い映画のDVD化は、どのようなかたちにせよ販売するかぎりは、できるかぎりデジタル修復しているという事実との比較だ。デジタル修復が大変コスト高であることは知らないではないが、映画保存という意味では彼の国では徹底しているという印象がある。日本映画のDVD化は、そのあたりがきわめて雑駁としている。
もうひとつは、今回、新潮社がDVD化にあたって、原版が痛んでいるところに、さらに全編をとおして画面の右上にかなり大きく「新潮45」というロゴを入れたこと、および本編なかほどで著作権に関わる文言を画面下に入れたために、鑑賞者にとっては、フィルムの傷を深くしたという思いをいだかざるを得ないのだ。映画の画面は一個の完璧な「美」である。そこに傷をつける権利が、誰にあろうか。著作権に関する文言は、本編終了後にあらためて出てきているのだから、作品の画面に挿入したことは、暴挙としか言いようがない。著作権をあげつらうものがすべきことではないのではあるまいか。幻と言われた映画フィルムを公開にこぎつけた企画の素晴らしさ、嬉しさを感じただけに、あえて言っておく。
【註】『生命の冠』日活、 原作・山本有三、脚本・八木保太郎、監督・内田吐夢、出演・岡譲二、瀧花久子、井染四郎、原節子。
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Last updated
Feb 21, 2011 06:52:39 PM
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