なんという気候か。4月を目の前にして、寒い一日だった。
朝、訪問入浴の看護師が、玄関の扉を開けるなり、「寒いですねー」の第一声。今夜から明日の朝にかけて、氷点下のところもあり、また、雪が降るかもしれないとのことだ。
とは云え、我が家では節電を実行して、午後18時までエアコンデショナーを切っていた。
病床の老母には、薄さ厚さのことなった毛布四種を、母の様子をみながら掛けかえて凌いだ。
東京電力は、今夏もひきつづき計画停電を予定していると発表したので、むしろ夏の暑さ母にどう対処させるか、熱中症にならないための方策を、いまからとりとめもなく考えてしまう。
被災地のこと、原発のこと、書こうと思ってもためらってしまう。もの言えば唇寒しというか、風評被害があちらこちらで問題になっている。磐城市などは、人っこひとり見かけぬほどで、これも不安をあおりたてる風評のしからしめるところだそうだ。このように、窮地におちいっているのは、震災や津波に直接みまわれた人たちばかりではない。
アメリカの調査機関によると、全面的な再建復興には5年はかかるだろうという。長い時間が必要なのだから、あまり根拠のないことは言わないほうがよい。
そして、そのためにも、政府も東電も原子力保安院も、ぐずで不明瞭な情報発信から、すばやい隠し事の無い情報発信をすべきだ。
風評が人心を惑乱し、社会を危険な状態におとしいれることを、われわれは歴史にその教訓をもっているはずだ。(・・・若い人たちはどうなのだろう? なにしろ我が文部科学省は、人智を得るまたとない機会となる日本の痛恨の失敗については、目隠ししてきたのだから。そのような官製ではない、自国の真の歴史を知らない若者たちが、大学生もふくめて、あまりにも多いのは、いったい誰の責任?)
年をとっても、いっこうに怒りがおさまらない私だ。
しかし、実のところ涙もろくなっていて、報道される被災地のたくましい人たちの姿や、遠くから駆けつけて黙々と働くボランティアの若者たちの姿を見ると、不意に胸が熱くなる。なんだか、毎日涙ぐんでいるような気がする。
そうなんだ、若いときには思いもしなかったが、年をとるって、悲しみを溜めることでもあるんだ。涙腺が弱くなっているのではなくて、人生の捨てきれなかった悲しみが、全身の細胞を満たしている。決して同じ経験をしているわけではないが、他人の苦しみが理屈抜きに分かるのだ。年寄りは、内側にたまった涙で、みずみずしいのだよ。
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Last updated
Mar 24, 2011 07:48:50 AM
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