小説家の花輪莞爾氏から先夜の電話で約束した新しい本の装丁のための参考資料がとどいた。
それは花輪氏の初恋の少女の写真で、氏自身が初めて撮影したものだと添え書きがあった。
当時、氏は東大仏文科の学生だったはず。少女は白いノースリーブのワンピース。小脇に何やらの本をかかえている。おそらく花輪さんがカメラを構えるために彼女に預けたのであろう。二人は文学の話をしながらデートをしていたにちがいない。
「まことに、時間はただ流れるだけですな」と書いておられる。
そのとおりである。昨日、たまたま矢野亮氏の『あん時ゃどしゃ降り』の歌詞を掲げたけれど、「アーアー初恋っていう奴ぁ すばらしいもんさ。 遠い日のこと みんな夢」なのである。
どうやら花輪さんは、花輪さん自身のことばだと「小説家として最後の本」で、その遠い日のことを書こうというらしい。
人生は、いつかは締めくくらなければならない。そして、他人の人生の締めくくり方に口をさしはさむことはできない。が、近年、どうも私は、そうした準備を始めたらしい知人に、「まだまだ」と喝を入れる役目をしている。
過日、荒俣氏がふと漏らされた言葉も気になった。初対面の私に気を許されてのことだったか・・・私は、とっさには掛ける言葉を失ったのだった。
「ワーク・ホリック」と自称したについては、さもあろうと推測できる。超人的なエネルギーで人生を営んでこられた方だ。荒俣氏が某大企業のコンピューター・プログラマーと、編集者・翻訳者と、二足の草鞋を履いておられた頃、いまから37年前、『怪奇と幻想』誌で、ご自身が翻訳されたJ.K.チェスタトンの短編『街』のタイトル・イラストレーションを、駆け出しの私に発注してこられた。それ以後、私は氏と顔をあわせることなく、さまざなところで氏の仕事に絵を添えてきた。そして、荒俣氏が平凡社の社屋に住み着いて仕事をされているということも耳にした。
対談でゴッホの話がでて、彼の病理学的諸説のなかの初期の説を紹介すると、「ゴッホは、ワーク・ホリックだったのですね」とおっしゃった。ゴッホとご自身を重ねたわけではあるまいが、私は、その言葉を発した荒俣氏の全身の気配を受け止めた。笑いながらではあるが、私の感覚はセンシブルに受けとめたのだった。
私自身も、自分の締めくくりを考え始めてはいる。とはいえ、小説家とちがって画家の場合は、自分の手元に作品がたくさん残っているのが普通である。それをどうするかは、考えても仕方が無い。ただ、画業というのは、画家がかかえている問題(テーマ)というのは、意外にも一点一点の作品のなかでほとんど完成しないのだ。ゴッホは、自分の絵は常に未完である、と言ったが、さもあらんと思う。画家は、いや、私は、じたばたしながら死ぬべきだろう。死ぬに死にきれないと、見苦しく・・・
それにしてもだ、「老人よ大志を抱け!」である。花輪莞爾氏よ、気取りなさんな。死んでも筆を離しませんでしたと、教科書に書かれますように。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 23, 2011 07:20:08 PM
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る