今朝、6時半に老母の経管栄養を点滴で入れながら、そのベッドのかたわらで横になって、昨日書いたマダラチョウの数万キロの大移動のことを想った。この大移住は、冬の季節を温暖な霧につつまれた森で過ごすためである。一本の樹木の葉叢のなかに数万、数十万のマダラチョウが折り重なるように止まり、そのまま次の季節の到来を待つ。おそらく大群で身体を寄せ合うことで体温の低下を防いでいるのであろう。
そんなことを想っているうちに、ふと、安西冬衛の有名な一行詩を思い出した。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。
「てふてふ」という旧かな使いが蝶々そのものをイメージさせ、またその音声的な面白さ。韃靼海峡という字面と、ここにも音声的な面白さ。かなの優しさに対する漢字の堅さ、非情さ。それらがストレートに絵になって記憶に焼き付く。けだし、「詩」であり、名詩と評されるゆえんである。
そして不意に、私が小学1年生のときに、初めてシャクトリムシを見つけたときのことを思い出した。長野県の川上第二小学校の校庭。雲梯(うんてい)のそばの木の枝に、それは、いた。・・・58年も昔のことだ。いままで一度も思い出したことはなかったが、いま、ありありと映像が浮かんできた。ゆっくりゆっくりからだを「くの字」に曲げながら枝の上を這ってゆく一匹のシャクトリムシ・・・
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Last updated
Aug 8, 2011 08:18:59 AM
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