大阪の地方政党「維新の会」(橋下徹代表)が、大阪府および大阪市の最高行政規範と位置づける「教育基本条例」の素案をまとめた。知事・市長が教育目標を定め、教育委員を罷免する権力を付与するという内容をふくんでいる。じんわりファシズムへの歩みが、ここに来て、加速しだしたと見るべきだろう。当然反論を呼ぶだろうが、危険な兆候である。
大阪知事も東京都知事もパフォーマンス好きの劇場型政治。すでにしてそこにはファシズムの予備的な志向が胚胎しているといってよかろう。「維新の会」という名称そのものにも独善性がうかがえる。
いま、震災や津波被害、原発被害や円高による経済危機で、日本国中が不安をかかえ、国政の無策無能によって現実的な解決策・実行にはほど遠く、国民の「希望」はおのずと「精神主義」的なものになっている。「がんばろう日本!」のシュプレヒコールは結構だが、じつはそのかけ声のなかに大衆が意識しないキナ臭いものを忍び込ませようと画策するファシズムの手先がいる。彼らは、日本のため、国のため、みんなのため、という善良な心をあやつって、とんでもない方向に日本人を歩ませることになるだろう。
戦後66年間、少なくとも日本は、国際的には他国を殺めずにきた。それは偉大な事である。他のいわゆる先進国といわれる国々ができなかったことを、私たちの日本は事実としてやってきた。そして経済的にも一応は成功してきた。国内的には失敗も重ねて、紆余曲折はあったにしろ、国際的には模範とされ好意をもたれてきたのだ。そのことは、このたびの東北大震災ならびに津波のニュースが発信されるや、たちまちのうちに世界各国から市民レベルで巨大な支援の手がさしのべられたことで証明されている。われわれより貧しい暮しをする人々が、義援金をおくってくれている。
私たち日本人は、口にこそ出さなくとも、こうして国際的に証明された行動を誇り高くおこなってきたし、精神の豊かさを誇りにして、それを忘れたことなどない。
それにもかかわらず、その「誇り」をかたちを変えたものにしようと徒党を組んで煽動するひとたちがいる。他国に対する「傲慢」を、日本の誇りと勘違いしているひとたち。愛国心を自己の病的ナルシズムのうちに育んでしまったひとたち。歴史を科学的検証による「学問」とすることを、「自虐」と言い放って知性に離反するひとたち。その態度こそ精神病理学的見地からは病理現象といえる。なぜなら、ナチズムを克服するためのドイツ国民の自己分析と自浄努力を、誰も「自虐」とは呼ばないからだ。むしろ、ドイツ国民の精神の強さであろう。
一般に、議論において宗教を言挙げすることはタブーとされている。議論の場に宗教をもちだす人がいたら、その人物をおおいに疑ってよろしい。「腹に一物」あるか、議論の「ミス・ディレクション(わざと勘違いさせて目的を逸らさせる)」の意図を疑ってよろしい。議論において宗教をもちださないこと、心の問題をもちださないこと・・・これは、一般的な議論の基本ルールである。
これと同様な禁止ルールが、政治が「宗教」をもちだしたり、「教育」について政治主導をとろうとすることである。
まさに大阪府の一政党「維新の会」がおこなおうとしていることだ。彼らは善意の顔をしているか、あるいは浅はかなのだが、ファシズムというものは、初めはそういうものなのだ。
ともあれ、私は、危険な臭いをかぎつけている。お笑い好きな大阪人たちが、明日は笑っていられなくなるかもしれないと、言っておこう。
【関連報道】
朝日新聞
知事・市長に教育委員の罷免権 大阪維新の会が条例案
政治の教育関与や職員の免職明記 大阪維新の会が条例案
読売新聞
公務員、抜てき人事や分限免職も・・・維新が条例案