東京は、昨日のやや肌寒ささえ感じる雨があがったと思ったら、一転、今日は夏のような暑さだ。
午後、来客があるので、午前中にちょっと用足しに外出した。帰途、我が家への坂道をあがってくると、舗装路のわきに水たまりができていて、雀が水浴びしたり飲んだりしている。その様子がいかにも無邪気で可愛らしい。それにしても、昨日の雨でできた水たまりではなさそうだが、と、なおも坂をのぼりながら角を曲がった。するとご近所の年配のご主人が、重装備で高圧洗浄機を操りながら石塀を洗っていた。その水が、雀たちの水浴場をつくっていたのだった。
「こんにちは」と挨拶すると、老主人は、
「きょうはいい塩梅な天気になりましたね」と、にこにこ笑いながら言った。
「これから暑くなるようですよ」
「おや、そうなんですか」
意外だという顔をした。
老主人の重装備はといえば、帽子に厚手の長袖シャツ、軍手をはめ、防水加工をしてあるらしい作業ズボンにゴム長靴。もうすでに日は中天に近く、私の額は汗ばんでいたが、老主人にはその気配さへもない。
なるほど、と私は胸の内に思った。お年が暑さをあまり感じさせなくなっているのだな、と。それから、熱中症に気をつけられるといいが、と。
私は、いままで毎年つづいた老母の看護のうえでの熱中症対策を思い出した。しかもそれについて、この3月の初めに主治医とも話し合っていたのだった。まさか同月30日未明に死亡するとは、少なくとも私自身は思っていなかったので、「5月に入ったら一応その対策の準備はしておいてください」と言う医師の言葉にうなづいていた。
午後、母が亡くなって以後、はじめての客を迎えた。と言っても、母の仏前に詣りに来てくださったのだが。
1時間ばかり思い出話をして、私は、ふと、母に聞きそびれたことがあるのを思い出した。それは、母のほかには、もう知る人もないことだった。特に重要なことではまったくないけれども、なんだか私自身の記憶に、ぽつりぽつりと穴ぼこが開いたままになるのだと思った。ちょうど一昔前のテレックス(telegraph exchange)の、穴の開いた紙テープのように。・・・もっとも、母は、ちょうど一年前から、一言もしゃべれなくなっていたけれども。
客は帰り際に玄関先で深々とおじぎをした。頭上に夏茱萸(ナツグミ)のいまだ青い小さな実がたわわに垂れ下がっていた。まもなく祭提灯のような真っ赤な実となるだろう。
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Last updated
May 16, 2012 05:48:31 PM
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