さてどのように書き出したらよいのだろう。たったいま、朝日新聞や読売新聞のデジタル版を見て、ひとりの女性の死亡記事に、「えッ!」と驚いたところだ。
私はその方と2度お目にかかっており、お名刺も頂戴していた。しかしそれが、あの有名な銀座のバー「おそめ」の上羽秀さん、そのご本人であるとは露程も思わなかった。
私が若輩のせいもある。名のある文士達が通い、文壇バーといわれた「おそめ」だが、私にはいかにも遠い存在だった。川端康成や大佛次郎が愛し、川口松太郎の小説『夜の蝶』の「おきく」さんのモデルになった上羽秀さんと、私の目の前にいる福福しく堂々とした年配の婦人上羽秀さんとが同一人として結びつく筈はなかったのだ。
最初にお目にかかったのは、能楽師の梅若猶彦氏と当時のレバノン大使と私との交遊の酒席を週刊朝日が取材し、その見届け役のように離れた席にいらしたのが上羽秀さんだった。そのとき私が持参した拙作の印刷物にギョッとされたような様子で、しばらく私の顔をまじまじと見ていらした。それから、たしか、京都のご自宅に能舞台を建設されたと話された。能を舞われるということは梅若氏から聞いてはいたが、個人住宅に能舞台を建設したという豪儀さに、こんどは私がまじまじと婦人のお顔をみつめたものだ。
それからしばらくたって、「あれっ、上羽さんではないかしら?」と思ったのは、小津安二郎監督のある作品をTVで観ていたときだ。「彼岸花」ではなかったかと思うのだが、いまは確信がない。バーのシーンでちらりと見えた顔が、上羽さんのように思えた。後日、梅若氏に尋ねたところ、「そんなことはないでしょう。映画にはお出になっていないと思いますよ」ということだった。私も人違いか・・・と思って、それきり詮索はしなかった。
二度目にお目にかかったのは、梅若氏が数年間ロンドンに滞在することになった送別会の席でのこと。私と席が隣り合わせだったので、ほんの少し胸にあるお気持ちを話されたことを思い出す。
そのただならぬ存在感、たたずまいの美しさを回想しながら、私はいまになってようやく上羽秀さんがどういう女性だったかを知ったのである。
ちなみに上に述べた川口松太郎の小説『夜の蝶』は、1957年に大映で映画化されている。監督・吉村公三郎、主演・京マチ子、山本富士子。
上羽さんをモデルにしたといわれる「おきく」を山本富士子が演じている。そういえば、ご本人とたたずまいのようなものが、どことなく似ている。
【後記】
上羽秀さんの映画出演について;
川島雄三監督作品『風船』(1956年、日活)/原作・大佛次郎/出演・森雅之、三橋達也、新珠三千代、芦川いづみ、北原三枝、二本柳寛、他。
この映画に「京都木屋町の〈おそめ〉バーのおそめさん」として、上羽秀さん御本人がワンカットだけ出演し、客としてやってきた顔なじみの村上圭吾(森雅之)と短い言葉を交わすシーンがある。タイトルに上羽秀とクレジットされている。(2020.8.8記)
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「おそめ」マダムの上羽秀さん死去 「夜の蝶」モデル 2012年11月5日18時56分
読売新聞
文壇バー「おそめ」のマダム、上羽秀さんが死去 2012年11月5日18時42分