昨夜からきょう午前中まで降っていた雨は、小庭の色づいた柿の葉やコウゾの葉をたくさん散らせた。夕暮れてから空を仰ぐと、薄い雲の陰に濡れて滲んだ月の光があった。
終日作品制作をしていて、たった今、22時20分、ひとくぎりをつけて筆を置いたところ。
昨日になるが、54年振りに連絡がついた小学校5年6年時の担任、星孝男先生からお手紙を頂戴した。電話のあとで、拙作の印刷物や手元にあった掲載誌などをかき集めてお送りした。その礼を兼ねたお手紙である。私の頬に笑みが浮かんだのは、私のことを「貴方様」とお書きになったり「タダミ君」とお書きになったり、ふたたび「貴方」と言い直したり、一通の手紙のなかで呼び方が変わっていること。先生は81歳、私は67歳、半世紀もの長い間音信不通だったこともあり、どう呼んだものかおそらく無意識のお迷いなのだろう。小学生のころは「タダミ君」だったので、私はそう呼んでくださることが一番良いのだが。
思い出したことがある。
中学生になって私は親元を離れた。教科に英語が入って、どういう経緯かは忘れたがイギリスのグラスゴーの少女と文通をするようになった。その少女の最初の自己紹介の手紙をもって長期の休みに親元へ帰った。私が帰ったというので、星孝男先生が我が家へ遊びに来てくださった。先生と母の前で、私はグラスゴーの少女の話をした。そして、こう言った。「セックスは女だって!」
性別のことをまったく無邪気に言ったのだ。セックスという言葉にそれ以外の意味があることなんて知らなかったから!
母と先生は顔を見合わせて、ここはそのまま聞き流しておこうというふうだった。
私は敏感な子供だったし、なにしろ写真を撮影するように一瞬の情景を記憶してしまう能力といえば能力がそなわっていたので、後になってこの場の意味を理解したのだった。
ハハハ、今、その情景がありありと浮かんでくる。
じつは先日の電話で、先生に初めてお話ししたことがある。
放課後、級友たちが先生と野球などをしているのを尻目に帰宅した私は、昆虫だ植物だと、一人で、あるいは弟をつれて山野を駆け回っていた。学校以外で級友と遊んだことがまったく無かったのだ。それは先生のご存知ない私の姿だった。
電話でお話しすると、案の定おどろいていらした。学校では様々に引き立てていただいた。学校全体の体育科の責任者であったという先生だから、体育はとんと苦手でひょろひょろ痩せていた私を、他の教科で盛りたててくださったのだろう。まさか、毎日のように山深くまでもぐりこんで、蝶や植物の採集に明け暮れているとは思わなかったのだ。そういう「たくましさ」があるなどとは・・・。夏休みや冬休みが終わると、自由研究としてそれらの標本を提出していたが、おそらくその時々の行為くらいに思われていらしたことだろう。
お送りした作品の印刷物を「宝物だ」と言ってくださるのは、やはり私の子供時代の先生だからである。ありがたいことだ。
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Last updated
Nov 23, 2012 11:35:29 PM
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