「世事に疎い」というが、私は若い頃からほんのつい最近までそのクチで、ことに親類縁者に関してはほとんど埒外のこととして自分の仕事に打ち込んで来た。父母共に亡くなったいま、どうもそうしていられなくなっている。内心に「くだらない」と思いながら、寄せる波あれば受け止めなくてはいけない。完全に無視するほどの蛮勇は、どうやら私には無い。
とはいえ、今まで埒外のこととして来たので、父母のつきあって来た方々の名前も住所も知らなければ、親類という人たちがどういう関係なのかさへ知らない。そういう私が大変重宝しているのが、亡母が遺した小さな手帳である。
亡母がマメに何かを書いていたのは知っていたが、その手帳を繰ってみて、30年におよぶ飼い猫たちの誕生日から死亡の月日まで、きちんと書き留めているのには驚いた。自分の法名(戒名)まで書いてある。「享年」と書いて、その下が空白になっている。自分の死亡年齢を書き込むわけにゆかないのは当然だが、「享年」とまで書いているのが、可笑しかった。どういう心境だったのだろう。
おそらく書道作品のための心準備だったのだろう、こんなメモがはさまれていた。
〈私の故郷は北海道の南で雪の多い所なので、夜など、しんしんと降る雪、今でも深い郷愁をおぼえる。書の道でどうしたら此のしんしんと降る雪を表はせるのか、なつかしい故郷の静かに降る雪の状況を表はせるのか。静かに置きすぎても間のぬけた感じになるであろうなど、苦肉の末、兎に角、筆の穂先の置き方に心を配ったつもりである。〉
・・・思えば、ごくたまに母は自作の書について私の感想をもとめてきたことがあった。そのたびに私はうるさがって、母の書道も埒外に追いやっていた。聞く耳をもたなかった。あるいは、文字の底にある文化について「なぜもっと勉強しないんだ」と責めた。そして、「そういうことに気がつかない人に、何を言っても無駄だよ」と、突き放した。
いまになって、紙の切れ端に書かれたメモを見て、母が身体で文字を書こうとしていたのかもしれない、と私は思った。
そんなわけで、亡母の小さな手帳を処分できないでいる。