先日、明星大学のシンポジウムに参加し、シェイクスピアのファースト・フォリオを初めとする同大所蔵の稀覯本を見る機会が与えられたことはすでに書いた。
IDカードを携帯したおよそ170名の参加者は、五つのグループに分かれ、マスクを着用して展示室に入ったのだった。私は最後の第五グループだったので、じつは展示室に入るまで30分ほど待たなければならなかった。で、それは主催者があらかじめ予想していたことであったため、その待ち時間を利用して、前日まで同大図書館で開催されていた明星大学50周年を記念する特別稀覯書展「デカルトの手紙、カントの手紙』を、展覧会の終了を一日延ばして我々に見せてくれたのだった。
学外者である私にとってはこれもまたとない機会であった。展示されていたのはルネ・デカルト(1596-1650) の実物の手紙一通と『方法序説』のオリジナル初刊本、そしてイマヌエル・カント(1724-1804) の実物の手紙一通と三批判書すなわち『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』のそれぞれオリジナル初刊本である。
デカルトは、言うまでもなかろうが、哲学の重要命題「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis ; ジュ パンス、ドーンク ジュ スゥイ)」で衆知の哲学者。明星大学が所蔵する手紙は、「ユトレヒトのごたごた・・・」という書き出しで、アルフォンス・ポロ(Alphonse Pollot) 宛のもの。日付は1643年10月17日。
「ユトレヒトのごたごた」というのは、1641年、デカルトはパリで『省察』を刊行し、そのころから彼の名声は高くなってきていたのだったが、ユトレヒト大学神学教授ヴォエティウスは彼を無神論者と激しく非難し、1645年、ユトレヒト市は、デカルトの哲学に関する書物の出版と論議を一切禁じる命令を発効した。ポロ宛の手紙は、まさにその「ごたごた」の渦中に書かれたもので、そのなかでデカルトは彼なりの手回しを報告し、また願っている。大変重要であり、また興味深い手紙だ。というのは、デカルトのいわば処世術が透けてみえるからでもある。その自筆は、小さな文字ながら実に几帳面な字体で、美しいといって良かろうと思う。
ちなみにアルフォンス・ポロ(アルフォンソ・ポロッティ;1602-1668) は、国務省のイタリア人下士官で、デカルトの信頼していた友人である。
さて、カントについても言うまでもない。
展示された自筆の手紙は、重要なものではないが、カントの日常生活を垣間見せていて、おもしろい。ある材木商に当てた短簡である。「あなたの店の材木を買うことにしたので送ってほしい」と書かれている。日付は1801年2月10日。冬のさなかだ。おそらく暖房用の薪を注文しているのであろう。
ついでながら、我々がシェイクスピアの稀覯本を見る時間まで待機していたのは、明星大学のシェイクスピア・ホールだった。このホールは、ロンドンのテームズ川南岸に1596年に建てられシェイクスピアの戯曲が数多く初演されたグローブ座(Globe Theatre) を復元したものである。
ロンドンのグローブ座は、1613年、シェイクスピアの『ヘンリー八世』を上演中に、本物の大砲をぶっぱなしたために焼失した。翌年、すぐに再建されたのだったが、実は正確な設計図が残っているわけではない。1647年にヴァーツラフ・ホーラーが外観をスケッチしたものがあり、そうした絵などから現在のグローブ座は復元され、それに倣って明星大学内の「グローブ座」も建設されている。日本の能楽堂のように、屋上屋を重ねる態で、実際のグローブ座は建物の中央部は青空天井なのだが明星大学グローブ座は全体をすっぽり覆うように屋根を架けている。
とはいえ、私は座席に座りながら、そのなんともイイ感じに浸ることができた。この舞台、もちろん授業の一環として実演に使われているのだそうだ。なんとすばらしいことだ。