68歳の私。すなわち昭和20年(1945) 生まれ。何度も書いて来たが、文字通り日本の「戦後」とともに生きて来た。私の写真アルバムの最初のページに、私の生後6ヶ月に撮影した6枚の写真が貼ってある。父が結婚前に買ったドイツ製のカメラ、バルダックスで撮った。父は婚約したまま戦地におもむいたので、もちろんカメラは家に置いたままだった。戦地から戻り、すぐに結婚し、私が生まれた。忘れていたカメラにフィルムが入れたままになっていた。年月が経っているので、写るかどうか分からないが、試しにと、私を撮った。6枚に写っていた。その6枚も、初めのほうは、写るには写ったが、やはり粒子が荒れていた。生後6ヶ月というと、昭和20年11月。何も物がない時代。良くぞカメラが残っていて、フィルムも生きていたことか。父母にとって、この写真は宝物となり、そして私自身にとってもそのとおりである。
その6枚の中の1枚と、68年後の68歳の私の自画像とを組み合わせてみた。病気をすることもなく、たんたんとではあるが、平和を生きて来たと思いながら。
そのときが来たら書くことにするが、じつは、NASAが火星へ向けて飛ばす探査衛星に、私の名前をDVDにプリントして一緒に飛ばしてくれることになった。核兵器で地球が壊滅しないうちに、せめて名前だけでも逃がしておこうと思ったわけではないが、NASAの呼びかけに応募したら、許可の証書が送られて来た。
この身は地球に置いて、死のときまで戦争反対、核兵器廃絶を訴えて行こうと思う。
Tadami Yamada "Self-Portrait at the Age of 6 Months and the Age of 68"
Composite of a photograph and a sketch with Photoshop, 7 August, 2013.