雨模様なので降り出さないうちにと、近くに買い物に出た。出るときに小粒の露が顔に当たり、出合う知り人に挨拶もそこそこ目的地に急ぐ。ついたとたんに降り出した。
表通りから一つ入ったところに、自動車修理工場の大屋根がかかった広いスペースがある。そこから祭神輿の掛け声が聞えた。路地にも人があふれ、掛け声にあわせて手拍子をしている。熊野神社の秋祭なのだ。
東京郊外の各町では、これから次々に秋祭がおこなわれる。高幡不動尊金剛寺のある高幡では、たしか三社か四社が共同で同日におこなわれるようで、私は先年、たまたま通りかかって長い交通規制にひっかかったことがある。共同とは言っても、各社それぞれの氏子の装い・・・祭半纏の意匠がちがう。それはそれで見ていておもしろかった。
私の町などは、たぶん生粋の地元っこは少ないはずで、かく言う私自身も当地に住んでまだ10年、祭といわれてもピンとこない。この感覚は不思議なものだ。
私は民俗学的な関心から、さまざまな地方の祭について調べ、関連書籍も多く所蔵している。また、早くに亡くなってしまったが江戸っ子の祭好きの友人に招かれて、よもや自分の生涯にあるまいと思っていた江戸神輿を担いだこともある。友人が亡くなるまで、数年にわたってつづいた。そして後に未亡人から、彼の収集した祭関係の書籍を譲り受けもした。
私は、終戦前夜に静岡県の伊豆で生まれた。しかし鉱山技師だった父の転勤のため各地に転居を繰り返し、子供のころから自分は故郷喪失者だと思ってきた。精神的にコスモポリタンたろう、そういう運命なのだ、と思った。そういう意識が幼少期にはすでにあったためであろう、風土に根ざした祭には敏感に反応してしまうのである。
私の描く絵が日本的なイメージからかけはなれているのは、私がまぎれもない生粋の日本人であるとい以外に、そのいわば各論ともいうべき土着性がないから、自分の日本的なイメージに懐かしさを感じないからだ。つくずく不思議だと思うのだが、自分の描く絵のなかで私は生きているので、懐かしさを感じない風土を描けないのである。
そんなわけで、町内の小さな祭にもついつい反応してしまうのだが、その感覚から言えば、地元っこの少ない近年(いや、じつは40年50年も前からかもしれない)、祭はたぶん本来の「様式美」は失われているのだろう。美しさがまるでないのだ。グズグズに崩れてしまっている、と私は見受ける。
おかしなものだ。私が懐かしさを感じない祭の、おそらく遠い昔にはあったであろう本来の様式美・・・まぼろしの祭にそこはかとない懐かしさをおぼえるのだから。
祭太鼓の音が、山のふもとから我家にも聞こえている。
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