しばらく家に閉じこもって仕事をしていたので、日光浴を兼ねて自転車で画材店までちょっと遠出の買い物に出た。思いついたことを小さな絵にしようとしたが、普段小さな作品を描かないので、買い置きの木枠(キャンヴァスの支持体)がない。それを買おうというわけだ。
それにしても今日は気温が一気に上昇し、暑かった。肌着はすっかり汗に濡れてしまった。途中で自動販売機で冷たいブラックコーヒーを買って飲んだ。熱中症予防だ。
帰りに昼食用のパンを買い、それから古本屋に立ち寄って、水上勉「瀋陽の月」(1986年、新潮社)を買った。
水上勉氏(1919-2004)は19歳のとき(昭和12年)、中国・瀋陽で苦力(クリー;中国人最下級労働者)の監督見習だった。日本の会社がタコ部屋的環境で中国人労働者を時に竹刀で叩きながらこき使っていた。そういう日本人の一人だったと、48年ぶり(昭和60年)に同地を訪ねた贖罪の旅の記。
立ち読みでざっと目を通したら次の記述があった。それで買って読むことにした。
「人は七十近くなれば、それぞれの死仕度をはじめる。あれこれ古い事どもにこだわりはじめるのもその証しかもしれない。自分のしてきたことは自分の責任だ。人にかわってもらえるものでもないのである。」(8p.)