きのう古書店で買った水上勉「瀋陽の月」を読了した。
過日、某女性国会議員が国会審議の場で、「八紘一宇」という言葉をもちだして日本人の心の表現だと発言した。この言葉は日本帝国主義が他国侵略のための国民懐柔策の標語として使い、その意味するところは「世界を一つにする」ということ。正確を記すために辞解を広辞苑から引用する。
【八紘一宇】太平洋戦争期におけるわが国の海外進出を正当化するために用いた標語で、世界を一つの家にするの意。日本書記の「兼六合以開都、掩八紘而為宇」(山田後註)から、田中智学が日本的世界統一の原理として、明治36年に造語したもの。
山田註・解;
読み;「六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(はっこう)を掩(おおい)て宇(う)と為す」
意味;「天地と東西南北を合せ、そのうえで都をつくり、天下をおおって一国の家とする」
日本書記の原義はともかくとして、それを日本帝国主義の標語としたとき、その思想はもちろん独善的な身勝手な言い分である。この標語について私は今しがた「国民懐柔策の標語」と言った。なぜなら、日本国内で息巻く以外、とうてい他国には通用しないからで、だとすると馬の鼻面にぶらさげた人参みたいなもので、この標語によって国民を欺瞞し、他国侵略へと駆立てたからである。
某女性議員はこの言葉の歴史的な真の意味あるいは意図について無知だったのであろう。あるいは彼女を取り巻く「おとな」が、若い彼女の無知につけこんで悪魔の知恵を吹き込んだのかもしれない。大相撲の横綱昇進の答辞のように、使い慣れない四文字熟語でそれらしく格好をつけてみせるは、噴飯ものだが可愛いものだ。しかし、国会議員が国会の場で発した言葉となると、格好をつけてみせたではすまされぬ。
太平洋戦争後、米ソ冷戦時代を克服して、世界平和のパラダイム理論は大きく転換したといえる。その足並みにそろえて日本も世界に冠たる「平和憲法」を掲げることによって、戦争の贖罪の基盤として来た。のみならず少なからず世界平和に貢献して来たのであった。
ところが、9.11アタックをもって戦後世界平和のパラダイムは崩壊し、いまや再び世界は混乱と渾沌の最中にある。
そして、あろうことか、その人心不安に乗じて安倍政権は「平和」のために日本を軍事国家にするために「努力」している。それはまさに虚仮の一念の観を呈している。
そもそも「平和」のための「軍国主義」とは論理的矛盾、倫理的にはその「平和」は世界的ではありえない身勝手を抱え込み、「軍国主義」は果てる事無い闘争を---もっとはっきり言うなら本質的に殺戮の永続を夢見るものだ。軍国主義の維持は強制と抑圧、すなわち暴力と人間性の剥奪によって成立する。そこに人民の平和などありようがないことは自明の理だ。安倍政権のやろうとしていることはそういうことだ。その空気のなかで、何やら利を嗅ぎ付けたか、某女性国会議員の「八紘一宇」発言なのだ。
水上勉氏の「瀋陽の月」には「八紘」という言葉が2度出て来た。19歳の若き水上氏は、その言葉に鼓舞され、国策による満州(東中国)への移住を決意した。「王道楽土」を信じてその地に骨を埋めようと渡海した。が、到着して勤務地に配属されるや、目にしたのは中国人を牛馬のごとく使役する日本人の粗野で傲慢な姿だった。----
某女性国会議員よ、あなたの無知がかような黴がはえた言葉を発したのなら、この「瀋陽の月」を読まれるがよろしい。
ついでに書いておこう。私の父が北方中国の戦地で目撃したのも、水上氏が体験された同様の事だった。粗暴な日本兵のふるまいに、「ほんとうに嫌になってしまった」と、父は私に語った。