昼前、昨夜思い出した八総鉱山小学校時代の5、6年時に担任だった孝男先生に電話した。84歳におなりとのことだったが、お声は元気そうだった。当時のことは良く憶えておいでで、同級生の消息もお聞かせくださった。
電話を切ってから、その話しに出た同級生のトモユキ君にも電話してみた。八総鉱山小学校の同級生で私が連絡先を知ってい、ここ10年間年賀状をやりとりしているただ一人の級友だ。
電話の呼び出し音がしばらくつづいたが留守のようなので切った。すると直後に私の電話が鳴って、出ると、トモユキ君だった。
彼は、孝男先生には10年前以前に直接会ったことがあるそうで、その頃は中学の同級会にも出席していたそうだ。実はトモユキ君と私は中学は別々なのだが、トモユキ君の中学の同級生は私の八総鉱山小学校以前の小学校すなわち荒海小学校の同級生なのである。トモユキ君が私の消息を知らせてくれたそうで、最近はトモユキ君の中学校の同級会からも私に知らせがとどく。残念ながら出席の機会を逸しているが、こちらも年賀状でのやりとりが復活した。幹事長を務めるアズマ君の現在の住まいのあたりを、---9歳の私はしばしばスクールバスを待ちきれずにおよそ3里(約12キロ)の道を歩いて帰ったものだが---通ったことを思い出す。
このブログには何度も書くが、今年70歳になった私だが、トモユキ君も、もちろん同年。聞けば1ヶ月違いの生れだとか。行政から後期高齢者の知らせが届き、「いよいよジイさんの仲間入りかと思った」と彼は笑った。
私はすでに早くから自らジイさんを名のっているが、---う〜ん、本音はどうなのだろう---一種の記号かな? そして、時に隠れ蓑かな? 先日の民生委員研修会で私はその内容の無意味なことをずけずけ言い、人の時間をムダに使わせないでくれと切り捨てた。他の民生委員は私の「怒り」と思い、そのような発言をあるまじき事と呆れもしたかもしれない。つまり、私は自分の死をみつめながら仕事をしているので、愚にもつかないことに時間を盗られるのを峻烈に拒否するのである。それは自らの老人を強く意識しているからである。しかしまた、老人と言えないようなまったく枯渇しないエネルギーが湧出し、そのギャップ、いうならば精神的肉体的な内部摩擦を感じてもいる。
ともかく、トモユキ君は元気、私も元気。声を聞いて安心した。
ところで昨日書いた6年生のときの「七夕音楽祭」の写真を掲載しよう。
トモユキ君、憶えていますか? 鮮明ではありませんが、後列中央にトモユキ君がいます。向かって左隣にイケノ君、ヤマノ君。向かって右端にサトル君。その前の列の右端はワダ君。左側のハーモニカは、ホシ君やサワムラ君、ヨシムラ君。リコーダーを吹いているのはモリ君、私、ヤマネ君、キタダ君の姿がわかります。---みんな元気かな?