きのうは午前10時から午後2時30分まで、S氏主宰のO氏邸サロンでの私の美術講義とミニミニ展覧会。Sさん、Oさん、お世話様でした。また、ご参加下さった方々に御礼を申上げます。
一つのかなり重いテーマを1回の講義で終わらせるため、用意した原稿を相当はしょりながらだったが、予定時間を大幅に超過してしまった。申し訳ない事だった。
それにしても、話をしながら思ったのだが、私は子どもの頃から、特に小学入学時に樋口カエ子先生に出会ったときから、ずっと一つのことをやってきたことに改めて思い到った。絵を描いて来たというのでは全然無い。絵を描いて遊ぶ子ではなかった。
そういうことではなく、「世界の編み目」を爪で探るように数えている、と言ったらよいだろうか。それは大げさに過ぎるが、要するに自我の確立-----泥沼のような曖昧さに引きずり込む日本精神文化のなかで、自他の確立を探って来たということか。私には、どこを切っても「土着性」がない。そこが私の始まりで、そして死してなおそこに帰着するだろう。いや、我が屍を埋められて初めて、私に「土着性」が備わるのだろう。------皆さんを前に話しながら、そんなことが胸に去来したのだった。