昼食の前にきょうは柿酢を醸造するために大瓶に仕込んだ。この大瓶は私が子供の頃からの、つまりは亡母さへ使わなくなって数十年経っていたもので、母が亡くなる2,3年前に私が柿酢をつくってみたいと引っぱり出したのだった。
この瓶に柿を隙間無く積み重ねていっぱいにし、うまく醸造できると、およそ3リットルから4リットルの酢となる。まろやかで柔らかい酢は、酢飯に使ったり、酢の物や、サラダ用のドレッシングソース、あるいは健康飲料として薄めて飲む。
ホワイトリカーに漬込んでおけばよい柿酒造りとちがって、実のところ柿酢造りは酢ができあがるまでの過程で手間がかかる。カビたり雑菌が入らないように注意して瓶の底から2,3日おきに掻き混ぜたり、醗酵をうながすために1ヶ月間くらいは柔らかくなった柿を潰したりする。その後は寝かせて醗酵を待つが、醗酵が完了したなら濾過しなければならない。ネル(布)の袋をつり下げてポタリポタリと滴り落ちるのを別容器に受ける。澄んだ美しい黄金色の酢ができる。
手間を惜しんでは失敗する。途中で腐敗してしまうのである。半年以上かけてようやく自分んが口に入れるものができる。ものを作るとはこういうことだと得心する。「買えばいい」というようなことではない。そこがおもしろい。
----私は創作家として人生を歩んで来た。それ以外のことは何もしなかった。そして、少年時代から自分が食べる料理をしてきた。しかし、料理をしても、その素材を作りはしなかった。そうしたい気持はあった。私が農業家を尊敬する謂われはそういうことにも起因している。農耕生活をしながら芸術活動をしている人はいるけれども、私は自分の作品制作のための日常の営み方を考えるとき、農耕生活とは相容れないことを知っている。それは私のイメージ湧出方法に関する問題だった。
梅酒をつくったり、ビワ酒、カリン酒、洋梨酒、そして柿酒をつくり、柿酢をつくったりすることで、きわめてわずかながら食べ物の素材を自分でつくる。そのことに、物を創作することと生きることとを直結する哲学の端諸をみつけたいのである。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 9, 2017 04:46:44 PM
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る