星野仙一氏が亡くなられた。享年70。
私は、国内野球については不案内と言ってもよいぐらいほとんど知らない。昔、ある出版社の編集者が、私を是非とも球場に連れて行って一緒に観戦したい、と言っていた。某チームの熱心なファンらしかったが、私が関心を示さないので業を煮やしたのかもしれない。
それはともかく、じつは星野仙一氏のお名前は、私は大学生時代から知っていた。明治大学の星野仙一選手、法政大学の田淵幸一選手。このお二人が大学1年生のときに、私は法政大学の3年生だったからである。山本浩二選手も法政大学1年で、田淵選手の大学野球チームメイトであったはずだが、山本選手にはまことに申し訳ないが、氏が活躍し頭角をあらわすのは私が卒業した後のことだ。
野球に関心がなかったばかりか、当時の私は不眠症とかなりの精神不安定に悩み、昼の光のなかに出られず、日暮れてから学校に行っていたので、六大学野球の応援にも参加したことがなかった。それでも、学内を憂鬱げにのろのろ歩いていると、どこからともなく田淵幸一選手のお名前や星野仙一選手のお名前が耳に入ってくるのだった。下級生の1年生がすでにスターとして世間の耳目をあつめているのに、ボクは何をやっているんだ。明るくて冗談好きのボクはどうしたんだ。心臓は奇妙に鼓動するし、雨戸を閉め切った部屋のなかに恐れたように蹲っている。取り憑かれたように原稿用紙に物を書けば、脳梗塞をおこしたか半身が麻痺するしまつ。
----こうして星野氏と田淵氏のお名前は、私の苦しかった学生時代に直結しているのである。いまとなっては、それも懐かしい。
星野仙一氏のご冥福をお祈りします。
----------------------------------------------
ところで昨夜1時頃、何の前触れもなくいきなりドカン!と地震があった。私はしばらく読書して眠りに就いたばかりで、「すわ、大地震か?」と身構えた。が、それきり身体に感じられる余震もなく静まり返ってしまった。猫達も騒ぎもしないので、大丈夫だろうと思って、いつのまにか寝入ってしまった。
今日の新聞報道によれば、千葉県北西部、また伊豆半島東方沖をそれぞれ震源とするマグニチュード4以上の地震が、ほぼ重なるように起ったようだ。
----これは、どういうことだろう? 日本海溝のいわゆる三重会合点を形成しつつオホーツクプレートの下にもぐりこんだ太平洋プレートは、さらにその先でフィリッピンプレートにもぐりこんでいるわけだが、この地球力学のメカニズムが、今回如実に働いたのかしら?
ともあれ、どこにも被害はなかったようだ。
(じつは、我家の門から玄関への短いアプローチの中程を横切り、家の北側面をとおって浴室の三分の一程のあたりから一段下の隣の敷地につづくあたりに、断層があるのではないかと疑っている。それが「立川断層」の一部であるかどうかは不明だ。が、まもなく7年が経つが東日本大震災の後で、私は気づいたのだ。)
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 8, 2018 01:23:31 PM
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る