猫達が私の机の上によりそっておとなしく寝ている。眠そうな目をしながら、私がコンピューターのキーボードをたたくのを見ているのだ。雨が降りつづいているので、庭に出たくても出られない一日だった。
昨日、彼女たちは庭にいて、突然の豪雨に驚いて悲痛な鳴声をあげた。我家の猫たちはエアコンデショナーでの冷房が好きではない。そのため暑い夏は庭で涼んでいるのである。昨日も朝から外に出ていたのだが、豪雨にみまわれた。それで今日は仕方なしにという具合に私のそばにくっついている。
雨に打たれながら紫陽花が美しい。アジサイ・ブルーというのではなく、ほんのり紫がかっていて、その色合いがなんとも美しい。
いま我家の小庭は、ドクダミの白い花が一面に咲いている。「白い花」と言ったが、それは植物学的には十字形の総包片である。その中央に屹立して極小さな黄色の花が穂状に密集しているのである。
ドクダミは我家の建物を取り巻いて生育している。他人の目には雑草を無精に放ったらかしにしていると映るかもしれない。じじつ無精をきめこんでいるのだが、すべて抜き取るに忍びないのもじじつで、この季節、短い間ながら、我家は小さな「白い花」に取り囲まれている。
私は、園芸花よりも野草のほうが好きだ。ときどき郵便受けに庭師の広告が投込まれるが、野草が伸び放題の小庭を覗き見て腕がムズムズするのだろう。商売っ気が鎌首をもたげるのだろう。しかし、おあいにく様、猫の額よりまだ狭い庭だが、できるかぎり野生のままにしておきたい。それだからでもないだろうが、この小庭には、植えたおぼえのない木々が小さな芽を出す。風にとばされてきた種が我家に居場所をみつけるのでもあろうか。他家の良く手入れされた庭では邪魔者としてすぐに抜き捨てられるだろう。
----小さな庭のなかで種々の植物の生命のせめぎ合い---生成と消滅---があるのである。おもしろいものだ。