まもなくシェイクスピアの誕生日(正確には洗礼日)と命日である(1564年4月26日洗礼ー1616年4月23日)。そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日が今日4月15日。さらに5月2日はちょうど没後500年にあたる(1452年4月15日ー1519年5月2日)。それらの日に合わせての発表でもあるまいが、二人に関する国際ニュースが入ってきた。
ひとつは・・・
イギリスの演劇史家ジェフリー・マシュー氏が長年の綿密な調査により、シェイクスピアが劇作を開始したとされる1590年代当時の住居を特定した。ロンドンの一流人士が住んでいた地区だという。
シェイクスピアはまだロンドンに出ていない1585年に双子の父親となった。そして劇作者として出てくる1592年までの7年間は記録が発見されていない。何をしていたかも分かっていない。しかし、ロンドンに出て来て演劇の世界に身を投じるや、この新人劇作者は他の演劇関係者の嫉妬を買うほどだったらしい。すでにして一流人士が居住する高級地区に住んでいたという今回の調査結果が、彼の才能を傍証することになるのかもしれない。
私はシェイクスピアの肖像画と言われるものを興味深く思ってきた。かつてこのブログにも書いている。その肖像画のなかの1588年記の24歳の青年を描いたものが、シェイクスピア協会からシェイクスピアではないと否定された経緯がある。理由は、演劇界に身を投じる前で、しかも双子が生まれたばかりで、肖像画の青年の高価な服を着れるような経済的な余裕はなかったはずだ、というものだった。
さて、本当に経済的な余裕がなかったのだろうか。じつはBBCがシェイクスピアの母親の記録を追跡したことがあり、それによるとかなり裕福だったらしいのだ。そんな事情は、ウィリアム・シェイクスピア本人の経済力に関係がないかしら? 一度は否定された肖像画が、ふたたびシェイクスピア本人だという可能性はないかしら?
記録のない7年間が、今回の高級な居住地区特定に照らし合わせて、俄然重要な意味をもってくるかもしれない。その7年間に、あるいは知られざる初期の戯曲が存在・・・いや、私はここで止めておこう。
次にレオナルド・ダ・ヴィンチ。
この偉大なる芸術家にも、新しい発見があったと発表された。私は詳しい研究経緯を知らないが、左利きであったとされてきたレオナルドだが、両利きであったことが分かったという。
それだからどうした、と言うようなことでもあるが、要は「鏡文字」の意味づけに関わってくるということだろう。あるいは右脳左脳の、歴史的な人物論としてはこじつけにもなりかねない議論がもちあがるかもしれない。まあ、私は研究の詳細がわかるまで言及はお預けである。