大学時代の級友・勝呂くんがポートレート写真を送ってくれた。おだやかな顔で、良い歳のとりかたをしていた。
こうして勝呂くんの顔を見るのは、じつは42年ぶりだ。最後に会ったのは、1978年、私が京橋の近代美術画廊で開催した展覧会『山田維史エディトリアル・イラストレーション 黒の世界』に来てくれたときである。そのとき立ち話で絵画売買のことに触れた。私が「投資」という言葉で何事かを説明すると、勝呂くんは「それは投機だね」と言った。
ハハハ、勝呂くん、憶えていますか? 私の記憶力、すごいでしょう。何かのキッカケがあれば、昔々に話した内容を思い出します。・・・たとえば、大学の法律学科のクラスは4年間一緒だったが、勝呂くんと話すようになったのはたしか吉川教授の刑法のノートを見せてもらったときだ。階段教室の後ろから3,4番目の席。そのころ私は極度に神経が衰弱していて、ほとんど学校へ行けない状態だった。そんなことは勝呂くんは知らなかっただろうけれど、ノートを見せてもらったのは私が授業に出席していなかったからだ。そして、私が終戦3ヶ月前に生まれた土地が、勝呂くんの故郷だと知った。もちろん赤ん坊のときに二人が遭っていたわけではないが、私はなんとなく親しみを感じたのだった。私は少年時代から自分がヴァガボンドだと感じていたので、内心に「故郷」を探していたからかもしれない。
故郷といえば、最後に会ってからさらに後、私が丸石神の研究をしていたころ、勝呂くんのお兄様が調査された道祖神などの地神信仰についての書き物を御借りした。勝呂くんの故郷はすなわち私の生まれた処でもあるので、その土地の俗信について知りたかったのだ。
私が法律をそっちのけにして、サイケデリックだゴーゴーだとやっていたとき、勝呂くんは「和楽」をやっていた。クラスで一番落ち着いていた。
私の目に浮かぶのは学生時代の顔だが、貴君の現在の写真を見ながら、本当に良い年のとりかたをしていると思った。これは画家的な目でだ。写真、ありがとうございました。このブログ日記を、仮名「S君」で書こうと思いましたが、どうも私の気持にピンと来ませんでした。あしからず。