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カテゴリ:社会、政治
アーノルド・シュワルツネッガー氏のインターネットサイトで、合衆国国会議事堂襲撃事件をめぐっての氏のメッセージを聴いた。約7分間の肉声メッセージだが、すばらしい内容である。私はそれを日本語に翻訳してこのブログに掲載したいけれど、著作権問題が発生してくるだろう。残念ながら諦める。 シュワルツネッガーさんは、ナチスの暴威が荒れまくっていたオーストリアに戦後2年目の1947年にお生れになった。メッセージの冒頭で氏は、合衆国国会議事堂襲撃が、ナチスのユダヤ人狩りが激しくなるきっかけとなった1938年の水晶の夜*(あるいは ”破壊されたガラスの夜” とも言う)と、ユダヤ人を引っ立てていったナチ少年親衛隊を思い出したと言った。 ナチス体制下の、嘘、嘘、嘘によって身も心も破壊されていた大人たちは、戦後、酒に溺れ、シュワルツネッガー氏の父親も例外ではなかった。週に一度か二度家に帰って来ると息子(アーノルドさん)を殴り、お母さんを怯えさせた。隣家も全く同様で、家庭崩壊してしまったようだ。・・・シュワルツネッガーさんは、この話は公表したことがないのだと言った。 民主主義が破壊されると人間が心身ともにどのようになるかということを氏は言っているのである。国会議事堂襲撃事件は、ドアを壊したり窓ガラスを割ったという事件ではない。アメリカという国の原理である民主主義が攻撃されたのだ、と。 そして、シュワルツネッガー氏は、大統領とは何者であるかということをテディ・ルーズヴェルト(セオドア・ルーズヴェルト第26代合衆国大統領)の次の言葉を引用した。 「愛国主義は国のそばに立つことを意味する。大統領のそばに立つことを意味していない。」 国会議事堂を襲撃したトランプ贔屓(Pro-Trump)の暴徒は、暴動を自己正当化する旗を国会議事堂に持ち込んだ。しかしその旗は役にたたなかった。民主主義は断固としていた。数時間以内に上院および下院はしっかり仕事をして、バイデン氏が大統領で選ばれたことを認証したとシュワルツネッガー氏は述べた。 シュワルツネッガー氏は、子ども時代に学んだ聖書から、こんにちの要点は〈a servant's heart (公僕の心)〉だと言う。「その意味は、あなた自身よりも一層大きな事柄に奉仕すること」「われわれが選んだ議員から今まさに必要なことは、公共のために仕える彼らの公僕の心。自分たちの権力や自分たちの政党のためよりももっと大きな事柄に仕える公僕を、われわれは必要としているのだ。われわれが必要な公僕は、高い理想をもった人物であり、その理想はこの国が他国から見上げられるようなことでなければならない」と。 氏は、ご自身が出演された映画『コナン』で使用された剣を示された。そして刀鍛冶の話をされた。火に入れて焼けた鉄を叩き、水に入れて冷却し、また火に入れてから叩く。それを何度も繰り返して鋭い切れ味の剣はできあがる。・・・民主主義とはそれと同じように鍛えられて行く。「われわれは今回の選挙で選ばれたバイデン大統領が、われわれの国が継承してきた事(民主主義)を引き継いでゆくなら、あなたが我々が共に在る事を探し求めるときに、われわれは心をからあなたを支援する」と。 ・・・私はアーノルド・シュワルツネッガー氏のメッセージを聴いて溜め息を吐いた。わずか7分間の演説ながら、わが日本の政治家に、(草稿を見ないで)これだけの見識ある演説ができる人はいるだろうか、と。 与野党いずれにかかわらず残念ながら皆無と言ってよいかもしれない。 簡単な例で話そう。たとえば選挙演説ひとつ取っても、「よりよい社会のために汗を流します。暮しが楽になるようにいたします」・・・そんなことは当たり前だ。誰が言おうと同じだ。「暮しが成り立たなくなるように努力します!」などと言う人間が何処にいる? 行政的な政策こそが、あるいは如何なる法律を制定しようとしているかが、主張しなければならない立候補者としての差異ではないか? いかなる政策の実現にも財源を要する。その財源を何に求めるかを語らなければなるまい。財源捻出の仕方によっては、かえって国民を苦しめることになるからだ。選挙に立候補した者は、その点を明示することが肝腎なのだ。また、政治において心の問題に行き着くような言辞を持出す人物を、選挙民は排除するほうが賢明だ。心の問題は立法にも行政にも馴染まないのだ。そして、当選したとなると、掌を返したように傲岸不遜になる人物も多々いる。あるいは、先日の年末に宣伝カーで住宅街を「挨拶」まわりしていた議員がいたが、「一年間たいへんお世話になりました!」だとさ。住民は、あなたを世話しているのではない。あなたが住民の世話をせっせとしなければならないのだ。それが議員に選ばれたあなたの仕事だ。・・・とまあ、そういうわけだ。TV芸者のようなコメンテーターとやらは論外である。 つまり、私の危惧は、そのような政治家とその支持者や団体によって民主主義国家日本が崩壊するかもしれない。その崖っぷちがかなり近くにあるのではないか、ということだ。民主主義が崩壊した日本の姿は、見本として近隣に存在する。それは独裁国家であり軍国主義国家であり多様な思想を認めない国家であり世襲的絶対的な階級制社会である。すなわち社会のあらゆる単位に主従の関係を強制する社会である。その主従関係における従者は、シュワルツネッガー氏が言う「servant(公僕)」ではない。そしてさらに、単一民族を偽装し、おおむね男尊女卑が制度化した社会である **。21世紀の世界の国々いずれにおいても、単一民族国家など存在しない。存在できない。もし、そんな国家を希求するなら、民族浄化以外無い。かつてのナチスのように自国内の他民族を殲滅するということだ。異人種・異民族絶滅集団虐殺(ジェノサイド;Genocide)が国家政策として行われるのだ。・・・民主主義の反対思想から必然的に生じるそのようなヴィジョンを、政治家連中も愛国者を気取る者も、なぜ想像できないのか。 日本は現在、政治家で保っているのじゃないかもしれない・・・ 【*註】水晶の夜; 1938年11月9日の夜、ナチス突撃隊(SA)がユダヤ人の住居や商店を襲い、窓ガラスやショーウインドウを叩き壊したり放火した。反ユダヤ主義暴動・ユダヤ人迫害である。この暴動をきっかけとしたように迫害は激烈化し、やがて600万人を殺害したユダヤ人殲滅収容所へと発展していった。映画作家ルキーノ・ヴィスコンティの言葉を借りれば、「盗みと殺人と、尻と血(性的サド・マゾヒズムの横行;山田註)の国家」になった。〈水晶の夜〉と称されるのは、破壊されて飛び散ったガラスがキラキラと輝いたというナチス側の呼称である。まさに他者の苦痛に鈍感な病んだ心の「美学」がここに窺える。 【**註】単一民族主義国家はおおむね男尊女卑が制度化した社会; これについては少し説明が必要だ。 それは男女の性行動の生物学的差異が関係してくるのである。つまり男性の播種と女性の受精の差異である。単一民族主義国家の男は、女が他民族の男の播種により受精受胎出産することを最も忌避する。この逆方向からの視点に立てば、戦争時に適地において敵方の女をレイプするのは、一義的には性欲のはけ口を求め、快楽のためであるが、生物学的社会学の見地からは、できるだけ広範囲に播種を欲求する男性本能と他民族攻略、あるいは懐柔、あるいは憎悪・サディズム、あるいは感情的には他民族の男のいわば鼻をあかしたいということ・・・それらが渾然となっている行動と言える。したがって単一民族主義国家においては、ほぼ必然的に女性は男性の従属物とみなされて、それが社会制度化されるのである。 現在、平和憲法を改悪して軍国主義に道をひらくための旗振りをしている女性たちがいる。あるいは他民族に対するヘイトを愛国的言論の自由とはきちがえて叫んでいる女性たちがいる。彼女たちは、その目的が達せられて日本が軍国主義国家になったときに、女性にどんな運命が待ち構えているかを知らないのだ。 シュワルツネッガー氏のサイト 上記のメッセージがYouTubeに転載されていました。 YouTubeシュワルツネッガー氏メッセージ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 20, 2021 12:32:47 PM
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