午前中は、市民会館の大ホールで日野市の全民生委員・児童委員による令和3年度の活動総括および令和4年度の活動計画を協議する総会が開催され、私も出席した。
昨夜から今朝6時ころまでかなり激しく雨が降っていた。これは早めに家をでなければならないかなと、ベッドの中で雨音を聞いていた。しかし、8時頃にはすっかり腫れて、暑くなりそうな陽がさしてきた。
さて、じつはこの協議会において私はひとつ役目を負わされていた。会の終了直前に、民生委員の歌「花咲く郷土」を独唱しなければならなかった。
マスクをし、私の希望でマイク無しで歌った。声は大ホールの後ろまで届いたはず。決して大声で怒鳴っているわけでない。77歳の老人だが、そのぐらいの歌声はじゅうぶん出る。伴奏はCD(カラオケ)。ただしその伴奏音楽を観客席に向けて流しているので、ステージの私にはあまり良くは聞えない。しかも観客席から返ってくる音が、ごくわずかながらずれて私の耳にとどく。リハーサル無しだったので、私は歌いながらこのずれに気付いたのだ。これにはよわった。プロ歌手のコンサートで歌手がイヤモニターを装着している意味がよくわかった。
そのステージを地区担当副会長氏が写真撮影していられた。撮影されたことなど無論私は知らなかったのだが、さきほどその写真がメールで送信されてきた。それが下の写真である。
(追記:ちょっと書いておこう。朝の洗顔をしながら突然思い出した。2,3歳のころ、父と風呂に入っていたときに、父が私の耳を洗ってくれたことを。もちろん毎日洗ってくれていたのだろうが、それが或る一日に集約されての記憶なのだろう。あるとき父の手がすべって、私を湯のなかに落としたことがあった。そのことはうっすら憶えている。が、耳を洗ってもらっている場面は、今の今まで一度も思い出したことがなかった。へんなことが記憶の古層に眠っているものだなー。今から逆算すると父が30歳になったかならぬ頃だ。)
(再追記:協議会に着て行くスーツに、Yシャツは春らしく薄いピンクにした。そして、上記の記憶の蘇りでセンチメンタルになったわけではないが、35年前に母が私にプレゼントしてくれた堆朱
(ついしゅ)のカフスボタンを取り出し、身に付けた。母の在宅医療における私の看護の様子を見ていた人たちの推薦で、母の死後、私は民生委員および児童委員に就任した。そして今年の11月末日をもって退任する。9年間務めた。今日出席した協議会が私の最後の会である。)