朝から取りかかっていた作品制作の手を休めて、冷たいコーヒーを飲む。もう昼食の時間だ。きょうも猛烈な暑さである。温度計を見ると、なんと38℃である。ちょっと外出したかったが、たいした用事でもないので中止にした。
閑話休題。
今朝、顔を洗いながら鏡を覗いた。あご髭、口ひげが、ほぼ真っ白だ。近頃は外出時にマスクをするので、元来無精なのが一層無精になって鬚を剃らない。中途半端な伸び具合の鬚が、老人顔をさらに老人顔にしている。まあ、それはいいとして、いささかギョッとしたのは、鼻から下、つまり顔半分の下のほうだが、死んだ父の顔にそっくりだったのだ。特に唇の両脇の頬から顎にかけてが似ていた。
どういうことだろうと思いながら、頬の筋肉を少し耳のほうにひっぱりあげてみた。それで納得した。筋肉に張りがなくなって、たるんで来たせいなのだ。私の顔が、より老人顔になり、亡父の顔に似てきたというわけだ。しかし、ここまで似るとは! と、驚いたのである。
顔の上半分は似ていない。それは、私の目には父の目より「激しさ」があるからかもしれない。
年齢を重ねるにしたがって内面の激しさをひそめてしまう人がいる。たぶん良い人生を過ごしてこられたのだろう。私は亡父の人生も亡母の人生も、息子として考えてみたことはないので、父の目の底に何が存在するかを知らない。追求してみようかなと、思わないでもないが、知らなくてもいいとも思っている。
ひるがえって、私の目は、年を重ねるにしたがって激しくなって来ているかもしれない。
私は少年のころから「目の鬼」になろうと思っていた。たじろがずに見ること。できるだけ観察に徹すること。幻想的思念を排除する目をもつこと。・・・それが「目の鬼」ということだ。これも子どものころのことだが、風邪などに罹って熱にうかされると、何か対象に目を接して舐めるように這いずりまわる私自身を夢に見た。たとえば、自分自身の手が巨大化してその手によじのぼり、巨大な爪に目を近づけて小さな爪切でプチリプチリと爪を切ってゆく。そんな夢だ。
版画家の棟方志功氏の制作している姿は有名で、写真で拝見すると、版木に鼻をこすりつけるように、・・・いや、お目を接するように彫刻刀を揮われていた。近眼が相当すすんでいられたのだろう。
私が、その晩年の数年間、謦咳に接していただかせた湯浅泰雄博士のお姿も思い出す。本を読まれるとき、あるいは原稿を執筆されたりゲラの校正をされるとき、やはり目をお近づけになり、対象との距離は15cmほどだった。私は湯浅泰雄全集を作っているとき、著者校正をお願いするゲラはB4判にまで拡大して届けた。少しでもご負担を軽くしてさしあげたかった。先生が執筆されるお姿を知っていたからだ。
お二方は目が不自由だったということもあろう。しかし、その鬼気たるお姿は、目の不自由とだけですまされない気配があった。私はお二方にも「目の鬼」を感じていた。
私は、おそらく自身の内面の激しさを死ぬまで静めることはできそうにない。枯淡の境地とはほど遠い。てんで悟れましぇん、である。
覚ったのは、この日本が、党派政治のなかで与野党に関わらず人格卑劣な、腐肉をまとった政治屋商売人を排出してきたということ。そのような人間が厚顔無恥に日本を操縦してきたのだということだ。「国家の品格」だと? バカ言ってんじゃないよ。何を見ているのだ。
私は、今朝、鏡を見ながら、我ながら悪相の激しい目を、両手で一層吊上げてみた。