昨夜、9時前、どこかで続けざまに花火があがった。何のための花火かわからないが、この市ではかなりしばしば花火の音が聞こえる。浅川河岸で行なっているのであろうが、私には全く目的がわからない。打ち上げ花火を個人が何発もあげることは考えられないので、いずれどこかの地区の何かの催しなのだろう。昨夜の花火はものの10分ほどで終わってしまった。夏祭りの季節ももうすぐだ。
ところで、その花火の連続音から3時間も経たないうちだった。轟音とともに強烈な稲光り、そして激しく雨が降り出した。午前0時少し前で、私はベッドのなかで読書しながらすでにうとうとしていた。その眼を射抜くように閃光が走り、室内を明るくした。雷鳴がものすごい。稲光りとともに地響きをあげて雷が落ちる。三度、四度と落雷した。その地響きから判断するに、おそらく近場に落ちたに違いない。
しかし、その突然の heavy thunderstorm at midnight も10分間ほどで、ケロリと終わってしまった。いったい何を癇癪を起こして暴れまわったんだ? という感じだった。
我が家の近辺はそれで済んだけれども、熊本地方はまたもや豪雨の被害が報告されている。稲作農家は数週間前に田植えを済ませたばかり。しかし田は泥水と芥をかぶりほぼ全滅らしい。今年の米は収穫を見込めず、「今年は食べて行けない」と報道メディアのインタビューに応えていた。「自然のことだから」と、諦めの言葉が出る。遥か遠くまで冠水した田畑を見やるその顔は・・・表情を失っている。
たしかに自然現象ではある。しかし沼地と化した辺り一面のその冠水被害が、河川の氾濫が最大の原因となれば、一概に自然現象として諦めるには及ばない何らかの方策をとることは不可能だろうか? 毎年のように大きな被害が発生することに、人間の知恵は何も対応できないのだろうか? 壊されるたびに何年もかけて修復し、復旧しては壊される。その繰り返し。まるで年中行事のように繰り返している、この経済的損出と労力の損失に対して、行政は根本的な政策に取り掛からなければならないのではないか。稲作農家が「食べられない」ということは、米を常食としている皆が食べられないということだろう。
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毎日計測している血圧の記録の「血圧管理帳」が、昨日、12年目に入った。今朝は123- 76/mmHg。もちろん降圧薬は使用していない。