ウィリアム・フリードキン氏が8月7日に亡くなられた。享年87。
現代アメリカン・ニュー・シネマを代表する典型的なスタイルで問題作を次々に発表された。
フリードキン監督作品が日本で最初に公開されたのは1970 年の『真夜中のパーティー』。私はこの作品のオリジナルであるオフ・ブロードウェイの舞台劇の録画を見ているが、しかし残念ながらフリードキン監督の映画は観ていない。
私が最初に観たのは『フレンチ・コネクション』(1971)。ジーン・ハックマンが演じる刑事 "ポパイ” は、その名前からE.C.シーガーの漫画やそのフライシャー・スタジオ制作のアニメ化されたポパイを連想するが、おっと、これがキャラクターは大違い。醜く、悪賢く、市民を震えあがらせるような、まったく新しいアメリカの刑事像を見せた。
次いで『エクソシスト』(1973)。この映画は私は個人的に忘れることができない。当時、イラストレイターとして出発したばかりの私は、職業人としてやっていけるかどうかも心もとない状況で手がけたのが、講談社の怪奇児童書ドラゴン・ブックス・シリーズ。その第2巻目の『悪魔全書』において、私はフリードキン監督『エクソシスト』のいくつかのシーンをイラストレーション化するように依頼された。担当編集者の土屋氏が、映画を観て準備しておくようにと言った。じつは私はすでに以前からイメージの宝庫としてオカルトの図像を研究していたので、土屋氏の慫慂に否やはなかった。この本は50年後の現在もおおぜいのファンがいられるようで、数年前に「復刊ドットコム」社から復刊された。
そして『クルージング』(1980)、『L・A 大捜査線/狼たちの街』とつづく。
私自身の若いころを思い出しながら、ウィリアム・フリードキン監督を追悼します。