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私たちの、その先にあるもの

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2015.03.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類
    「おしえに託す」

前々日記に「教育は見返りを求めてはいけない」と申しましたのは、以前野球部出身者へ、育てたことへの「見返り」を求めるような書き込みを見たものですから、それは違うでしょうと、思いを記したのです。
見返りとはバーター。『これこれをしてあげるから、これこれを返せ』という「打算の合意」のことです。彼らの報酬は、血の滲む努力の証しですから、それをおねだりするのは品性よろしくないと思いますね。
一事が万事、「覚悟ある献金をしろ」、「その町が全員会員になるようやれ」。こんな高圧的で一方的な態度では信仰を深めていくのは難しい。

昔、両親は、ゴカフ、信芸、座談会、みささげ、婦人会、壮年会、ミトドケア、カッパと、くる日もくる日も飛び回っていました。夜も不在が多く、そんな両親が不思議に映ったこともあります。今思うと、彼らなりに「託せるもの」があったのです。あったから続いた。
父などは、『これだけお金を使っておしえを体得出来なければ、何のために信仰してきたか!』ということをよく口にしていまして、商売人特有の損得勘定ではありますけど、おしえに「託して」いたのです。そういった損得勘定は、“清い信仰者”にもあるでしょう。「・・・のため」ということ自体が損得なのですから。
信仰には対価がありません。100万円出せば100万円の車が買えるというものではありません。献金100万円の対価は「託す」しかないのです。託すとは自らをそっくり預けること。対価として「お恵み」があるかどうかは誰も証明のしようがない。それでも、父や母はおしえに託していたのです。「託せる何か」があったのです。
今も託せる何かがあるから続いている信仰者もいるのでしょうが、上の上の人の、あのような身勝手で低劣な書き込みを目にすると私には託すことが出来ないのです。






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Last updated  2015.03.06 13:08:36
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