2013/07/09(火)20:56
南米世界遺産紀行12日間 旅行記 11(ブエノスアイレスにて)
アルゼンチンの首都ブエノスアイレス市内。
バスは世界三大歌劇場の一つで、イタリア ミラノのスカラ座に次ぐ大きさのコロン劇場へと向かっている。
走っている7月9日大通りのこちら側は工事中で5車線のみ通行可。
本来は上り下りで16車線あるらしい。
道路際にはビール腹を思わせる木が並んでいる。
いわく「酔っぱらいの木」。
その木のそばにはピンク色の花の木があり、「酔っぱらいの木」に花を添えている形になっている。
やがて右手に堂々のコロン劇場が現れて来た。
バスはその裏手に回る。
残念ながら劇場内には入れなかった。
劇場の裏手には大きな広場があり、青銅像が散在している。
この女性が見ているのはスペイン出身のローマ皇帝トラヤヌスのレプリカ像だった。
さらにその先の広場には写真を並べて展示してあった。
コロン劇場の内部や、演奏した人たちの写真である。
その写真の中からイタリアの名テナー エンリコ・カルーソーを見つけ出した。
1915年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の一員として、ヴェルディの「仮面舞踏会」のリッカルドを演じたときの姿。
面白かったのは、NewYorkという固有名詞をNueva Yorkと書いてあったことであった。
そして、バレリーナのアンナ・パブロワの写真も。
彼女はマリインスキー劇場バレー団の一員として1917、1918、1919と1928年にコロン劇場に来ているのだそうだ。
この写真は1928年サンサーンスの「動物の謝肉祭」の「瀕死の白鳥」を演じたときのもの。
さて、次に向かったのはセントロにある5月広場。
途中いかにもセントロという感じのダウンタウンを行く。
向こうに見える尖塔はオベリスコ。
1936年5月、ブエノスアイレスが最初に開かれてから400年目を記念して建てられた。
高さは220フィート(67m)あるのだが、現在は内部に入れないそうである。
この辺りにはハンバーガーのマクドナルドの店が多い。
肉の本場なので、きっと美味しいハンバーガーを提供しているのであろう。
一度食べてみるべきだったが、惜しいかなチャンスが無かった。
5月広場は1810年スペイン政府に反抗して独立を勝ち取り、独立宣言の喜びにわいた民衆が集まったところ。
独立宣言はこの白い建物カビルド(スペイン植民地時代行政機関のあったところ)で行われた。時に1810年5月25日であった。
そして5月広場を挟んで真向かいにあるピンク色の建物「カサ・ロサーダ」は現在の大統領府である。
白い塔は「5月の塔」。
革命の翌年に一周年記念として建てられたもので、アルゼンチン全土から持ち寄られた土が収められているとのこと。
5月広場の脇、大統領府「カサ・ロサーダ」と独立宣言が行われたカビルドとの間にナポリターナ大聖堂がある。
ネオ・クラッシック様式の建築で、正面の12本の柱はキリストの12使徒を現しているとか。
18世紀の中ごろから建設が開始され、1827年に完成。
上の写真ではちょっと見にくいが、右端の炎はその当時から消えることなく燃え続けているとのことである。
なお、今年2013年3月13日に第266代ローマ教皇に選出されたフランシス1世は、この大聖堂でブエノスアイレス大司教を務めておられた方である。
我々が大聖堂の入り口に近づくと衛兵の一団が下りてきた。
2時間ごとに行われる衛兵の交代なのだ。
どこの国の衛兵もそうだが、皆かっこいい。
(日本にも衛兵というか儀仗兵はいるのだろうか?)
この衛兵さんたち、南米解放の父ホセ・デ・サン・マルティン将軍の棺を守る護衛兵なのである。
大聖堂の中に入る。
外観はネオ・クラッシック様式だが、内部はロマネスクやゴシック様式を取り入れているように思うのだがどうだろう。
しかし立派な内部の造りである。
堂々とした光輝く主祭壇。
見上げる。
そこにあるフレスコ画。
更に見上げる。
右側に見えるコバルトブルーの説教壇が素晴らしい。
またステンド・グラスも多くある。
これはそのうちの一つ。
色彩が見事である。
女性が熱心に見入っている人物像と棺があった。
棺には LEONI FRIDERICO ANEIROS と書かれているのだが、由緒は分からない。
そして最後に回ったところが、先程の護衛兵に守られたサンマルティン将軍の霊廟。
将軍の棺がアルゼンチン、チリ、ペルーの聖女像に見守られて安置されている。
外へ出て大統領府に近づくと子供たちの絵がずらりと垣根に並んでいた。
これからアルゼンチン・タンゴの曲で有名なカミニートへ向かう。