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カテゴリ:マチュピチュ旅行
バスは本日最後の観光地、港町ボカのカミニートへ向かって行った。 途中広い歩道にどっかと座りこんで音楽を楽しんでいる若者の一団。 ![]() 気持ちの良い朗らかな表情の若者たちだ。 土曜日とあってここも市が立っていた。 ![]() しばらく行くと、スタジアムが見えてきた。 あのマラドーナもいたことのあるボカ・ジュニアーズのホーム「ボンボネーラ」。 現在は造り直されて「ヌエヴォ・ボンボネーラ」と呼ばれているということである。 ![]() そして間もなくカミニートへ到着。 バスの上から見る街は今までとは打って変わった様子で怪しげな感じだ。 ![]() ヨーロッパからの船はすべてここに入港し、新天地を求めて来た移民を上陸させていった。 また造船工場があり、その労働者や船乗りなどを相手にする港町特有の安酒場や賭場も多くあったという。 そのような雰囲気がバスから見た光景に感じられたのだろう。 また、カミニートというとアルゼンチン・タンゴがすぐ頭に浮かび、タンゴ カミニートのあのやるせないメロディーが口から出てくる。 そう、ここカミニートはアルゼンチン・タンゴ発祥の地なのだそうだ。 私の年代でアルゼンチン・タンゴというとすぐ思い浮かべるのがオルケスタ・ティピカ東京の藤沢 嵐子(Ranko Fujisawa)ではないだろうか。 あの艶やかなアルトの美声。 そしてRを巻き舌で強調したスペイン語のアルゼンチン・タンゴの歌声は、我々をラジオの前に釘付けにしたものである。 特にあの哀愁のあるカミニートは素晴らしかったし、アディオス・パンパ・ミーアも良かった。 彼女はアルゼンチンへ何度も公演に行き、その都度、拍手喝采を浴びていたようである。 「日本人でもこんなにタンゴの心を理解し、演奏できるとは」と。 そのカミニートへバスから降りる。 ![]() 初秋とはいえ南半球での日差しは強い。 建物の影と直射のところとの明暗の差が大きくて、なかなか写真が撮りにくい。 トイレを借りに入ったショッピングセンターにサッカーの店があった。 ![]() カミニートはスペイン語で小径とか細道という意味。 でもここはちょっとした広い通り、その両脇にいろいろな店が並んで観光名所となっている。 ![]() ![]() そして建物のいろいろな部分は原色で塗り分けられていて大変面白い。 これは画家のキンクェラ・マルティンが、自分の絵が売れるたびにそのお金で病院や幼稚園、小学校などを建てて町を育てて行った。 この色の塗り分けも彼の指導によるものらしい。 造船工場などで余ったペンキを貰い受け、それでは1軒全部は塗れないので、部分部分に分けて塗って行き、ペンキを貰う都度色が違っていたりしていたので、今日見るようなカラフルな姿になっていったということである。 本当の小径らしきところがあったので、そちらへ入ってみる。 そこには日常の生活感溢れる光景があった。 ![]() でもあまり人通りの少ないところは危険なので、足を速めて別の広い通りへ出る。 ここはピザ屋さん。 ![]() ここもまた綺麗に塗り分けている。 ![]() そして人通りの多い裏道へ入る。 ![]() 夕方近くなってきて、木の影も長く映えるようになって来ていた。 この裏道の壁にはいろいろな作品が取り付けられている。 ![]() これは何だろう? 何か祈りを捧げる人の裾には不安げな子供の姿が。 壁に映る木の葉の影が何か淋しさを演出している感じもする。 碑銘には、ESPERANDO LA BARGA とあった。 その先には、このような青銅像も。 ![]() 何かこのような状態を忘れるな!と言っているような気がする。 でもこの子の明るい顔が救いだった。 シリアスな像を通り過ぎると、明るい焼き物の絵が出て来た。 ![]() これでカミニートの一角を一巡したことになる。 ![]() カミニートは、今まで見て来たセントロのようなソフィスティケートされた町ではなく、何か庶民的な親しみを感じるところで、日本でいえば東京の下町のような感じかなと思う。 ![]() 絵の左下にはキンクェラ・マルティンのサインが、右下にはこのタイル絵の作者のサインが見える。 1930年代のボカ港の様子だと思われる。 画家を目指す人たちが自分の作品を展示・即売していた。 ![]() 町の入口付近の市にも、なかなか面白い絵が出ていた。 ![]() バスが待っている港へ出る。 ![]() 今でも造船会社は残っているようだ。 大きなクレーンが彼方に見えている。 ブエノスアイレス空港よりLAN航空でペルーのリマへとんぼ返り。 LAN航空の国際線では、嬉しいことにワインをガラスのグラスで出してくれる。 夕食はワインを飲みながら、飛行機の中で。 ホテル着は午前様だった。 またまた早朝、リマからインカ帝国の首都だった高地のクスコへと飛ぶのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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