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明けまして200です。
今日も『淮南子』から。 ❝兩維之間,九十一度十六分度之五而升,日行一度,十五日為一節,以生二十四時之變。斗指子,則冬至,音比黃鍾。加十五日指癸,則小寒,音比應鍾。加十五日指醜,則大寒,音比無射。加十五日指報徳之維,則越陰在地,故曰距日冬至四十六日而立春,陽氣凍解,音比南呂。加十五日指寅,則雨水,音比夷則。加十五日指甲,則雷驚蟄,音比林鍾。 (『淮南子』天文訓)❞ →両維の間は、九十一度と十六分の五の角度であり、日に一度回り、十五日で一節となり、もって二十四時の変化を生ずる。北斗が子(北)を指すときがすなわち冬至であり,音程は黄鍾にあたる。十五日経過して北斗が癸を指すときがすわなち小寒であり、音程は應鍾にあたる。さらに十五日経過して北斗が醜を指すときがすなわち大寒であり、音程は無射にあたる。さらに十五日経過して北斗が報徳の維(東北)を指すときに陰が地に降りる。ゆえに「冬至から四十六日目は立春となり、陽気が氷を解く」という。音程は南呂にあたる。さらに十五日経過して北斗が寅を指すときがすなわち雨水であり、音程は夷則にあたる。さらに十五日経過して甲をさすときがすなわち雷が蟄(虫)を驚かす(驚蟄、日本でいう「啓蟄」のこと)。音程は林鍾にあたる。(以下略) 前回、二十四節気について少し触れました。ちょうど11月末にユネスコの世界無形文化遺産に「二十四節気」が登録されましたので、これ記念してその続きを。 参照:道家と二十四節気。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5208/ ❝太微者、太一之庭也。紫宮者、太一之居也。軒轅者、帝妃之舍也、咸池者、水魚之囿也。天阿者、群神之闕也。四宮者、所以守司賞罰。太微者、主朱雀、紫宮執斗而左旋、日行一度、以周於天、日冬至峻狼之山、日移一度、凡行百八十二度八分度之五、而夏至牛首之山、反覆三百六十五度四分度之一而成一歲。❞(『淮南子』天文訓) →太微は、太一の庭であり、紫宮は太一の住まいである。軒轅は、帝妃の舍であり、咸池は、水魚を養う園である。天阿は、群神の関である。この四宮は、賞罰を司りこれを守る門である。太微は、朱雀を主とし、紫宮は北斗を手に執って左に旋回する。一日に一巡し、天を周行して冬至の日に峻狼山に至る。日に一度移動して、おおよそ半年で182と8分の5度を巡り、夏至の日に牛首山に至る。365と4分の1度の運行により一年という歳月が経過する。 『淮南子(えなんじ)』は、前漢の武帝のころ、淮南王・劉安という人物の命により紀元前二世紀に編纂された書物です。このうち「天文訓」は、『史記』の「天官書」と並んでこの当時の天文学の水準を窺い知ることができる貴重な記録なわけですが、彼らが特に注視していた天体は「北極星」や「北斗七星」といった北の星々でした。 参照:荘子と太一と伊勢神宮。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005176/ 北極星と北斗七星というと、真北を指す「方位の基準」としての役割がありますが、同時にこの星々には「時間の基準」としての役割もあります。北の空の星々は北極を中心におおよそ一年で天を一周します。当時の人々は、同じ時刻での北斗七星の剣先の角度を計測することによって、一年のサイクルの目安としていました。二十四節気でも「斗指子(北斗が子を指す)」「指癸(北斗が癸を指す)」とあるように、北斗七星にはいわば「巨大な時計」としての機能があったわけです。 また、『淮南子』は、北斗七星と同じように重要な天体についての記録があります。 ❝天神之貴者,莫貴於青龍,或曰天一,或曰太陰。太陰所居,不可背而可向,北斗所擊,不可與敵。天地以設,分而為陰陽,陽生於陰,陰生於陽。陰陽相錯,四維乃通。或死或生,萬物乃成。蚑行喙息,莫貴于人,孔竅肢體,皆通於天。天有九重,人亦有九竅;天有四時以制十二月,人亦有四肢以使十二節;天有十二月以制三百六十日,人亦有十二肢以使三百六十節。故舉事而不順天者,逆其生者也。❞ (『淮南子』天文訓) →天神のうちで青龍ほど貴いものはない。ある時は天一といい、またあるときは太陰ともいう。太陰の場所は、背を向けてはならない。北斗の撃つ場所を敵としてはならない。天地を陰陽の二気とすると、陽は陰によって生じ、陰は陽によって生じる。陰陽は互いに交わって四維が通じる。あるいは死、あるいは生、それにより萬物は生成する。足があり呼吸をする生き物の中で人より貴いものはなく、人の身体における器官や身体はみな天のはたらきに通じている。天に九重があれば、人にも九竅があり、天に四時(四季)があって十二の月があるように、人にも四肢と十二の節がある。天に十二の月と三百六十日があるように、人にもまた十二肢と三百六十の節がある。ゆえに、事あるごとに天に従わないのは、生に逆らっているのと同じことである。 ・・・この「青龍」が意味するものです。五行の思想でいうところの「木」を象徴する星。 ❝何謂五星?東方,木也,其帝太皞,其佐句芒,執規而治春;其神為歲星,其獸蒼龍,其音角,其日甲乙。南方,火也,其帝炎帝,其佐朱明,執衡而治夏;其神為熒惑,其獸朱鳥,其音徵,其日丙丁。中央,土也,其帝黃帝,其佐後土,執繩而制四方;其神為鎮星,其獸黃龍,其音宮,其日戊己。西方,金也,其帝少昊,其佐蓐收,執矩而治秋;其神為太白,其獸白虎,其音商,其日庚辛。北方,水也,其帝顓頊,其佐玄冥,執權而治冬;其神為辰星,其獸玄武,其音羽,其日壬癸。太陰在四仲,則歲星行三宿,太陰在四鉤,則歲星行二宿,二八十六,三四十二,故十二歲而行二十八宿。日行十二分度之一,歲行三十度十六分度之七,十二歲而周。❞(『淮南子』天文訓) →「五星」とは何を言うのだろうか? 東方は木である。その帝は太皞、その補佐は句芒、規(コンパス)を執り春を治める。その神は歲星(さいせい)となし、その獣は蒼龍、音階は角,日は甲乙である。 南方は火である。その帝は炎帝、その補佐は朱明、衡(はかり)を執り夏を治める。その神は熒惑(けいわく)となし、その獸は朱鳥、音階は徵、日は丙丁である。 中央は土である。その帝は黃帝、その補佐は後土、縄を執り四方を制する。その神は鎮星(ちんせい)となし、その獣は黃龍、音階は宮,日は戊己である。 西方は金である。その帝は少昊、その補佐は蓐收、矩(さしがね)を執り秋を治める。その神は太白(たいはく)となし、その獣は白虎、音階は商、日は庚辛である。 北方は水である。その帝は顓頊、その補佐は玄冥、權(おもり)を執り冬を治める。その神は辰星(しんせい)となし、その獣は玄武、音階は羽,日は壬癸である。 太陰が四仲にあるとき、歲星は三宿に進み、太陰が四鉤にあるとき、歲星はちょうど二宿に進む。歳星は十二年で二十八宿をめぐり、1日で十二分の一度、一年では三十度十六分の七、十二年で一周する。 太陽系の惑星のうちの5つは肉眼でも観測可能です。紀元前から人類は、他の星々と異なった性格を有するそれらの惑星を注意深く見つめていました。前漢の時代には、その当時流行していた五行になぞらえて、それぞれ星の属性としました。「熒惑(けいわく)」という星は火、「鎮星(ちんせい)」という星は土、太白(たいはく)という星は金、辰星(しんせい)という星は水、という具合です。そして、その中でも最も重視されていたのが木星でした。木星は、別名を「蒼龍(青龍)」、「歳星」ともいい、11.86年で天を一周します。まさに一年という「歳」を示す星でした。 木星が約十二年で一巡するという運行が十二次、十二辰という区分になり、後に十二支として活用されます。このサイクルは2000年以上使用され続け、現在ももちろん、その風習が残っています(ちなみに、十二支に動物が当てられるのは後漢のころ)。 ・・・ただし、木星の動きには、ある問題点があります。「時間の基準」として使うため、時計のような存在ではあるんですが、木星は反時計回り(左回り)なんです。ここは暦法だけでなく占星術にも大きく関わってくるので、南を向いて太陽や月を観測する場合の基本となる時計回り(右回り)と関連付けるのが難しくなります。 そこで、術数学という学問の方法論を活用して「観念上の星」が考え出されました。丑と寅との間に鏡を立てて、そこに映る影のような星です。実際の木星の動きとは逆に、時計回りに回る「木星の影」。この星を「太歳」と言ったり「太陰」と言ったりします。 Wikipedia 木星 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%98%9F Wiukipedia 太歳 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3 参照:四方拝と北斗七星。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5172/ ・・・この反時計回りという点では北斗七星であっても同じです。『淮南子』では同様の考え方に基づいて北斗七星を「雌雄」に分けます。 ❝北斗之神有雌雄,十一月始建於子,月從一辰,雄左行,雌右行,五月合午謀刑,十一月合子謀德。太陰所居辰為厭日,厭日不可以舉百事,堪輿徐行,雄以音知雌,故為奇辰。❞(『淮南子』天文訓) →北斗の神には雌雄がある。十一月の初めに建が子を指し、一月ごとに一辰ずつ動く。雄は左行し、雌は右行する。五月に午を指して刑の位置に至り、十一月には再び徳の位置に合わさる。太陰(雌神)の場所を厭といい、厭には何事も行うべきではないという。堪輿は徐行し、雄は音によって雌を知る、ゆえにこれを奇辰という。 北斗七星が反時計回りに「左行」する動きを「雄」とし、対照的に「右行」する観念上の天体を雌として、それぞれが十一月と五月に重なりあうというものです(この当時の暦では一年の始まりは11月1日)。木星の場合と同じように太陰という言葉もありますが、北斗七星の場合には雌雄が半年ごとに重なり合い、神話の時代の壁画のように二重らせんを描きます。『淮南子』では天文訓に登場する星々に「神」の字をあてていますが、この「雌雄の北斗の神」は精神訓にある「混生した二神」に対応していると思われます。 ❝古未有天地之時、惟像無形、窈窈冥冥、芒芠漠閔、澒蒙鴻洞、莫知其門。有二神混生,經天營地,孔乎莫知其所終極,滔乎莫知其所止息,於是乃別為陰陽,離為八極,剛柔相成,萬物乃形,煩氣為蟲,精氣為人。❞(『淮南子』精神訓) →古の天地のなかった時代、ただ無形としか形容できない、深い深い闇に包まれていたころ、ぼんやりとしてつかみようのないものが世界のいたるところにひろまりつつあった。そのとき渾然として二神が生まれて、天を経て地を営み始めた。いつどこで終わるのかわからない営みは休むことなく続き、そのうちに陰陽の別が生じ、八極が成り立ち、重合が相成り、萬物に形が生まれ、煩氣は獣や虫となり、精氣は人となった。 参照:参照:太陽と月、男と女の錬金術。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5148/ これと大変よく似た話が日本にあります。 ❝於其嶋天降坐而、見立天之御柱、見立八尋殿。於是、問其妹伊邪那美命曰「汝身者、如何成。」答曰「吾身者、成成不成合處一處在。」爾伊邪那岐命詔「我身者、成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以爲生成國土、生奈何。」。伊邪那美命答曰「然善。」爾伊邪那岐命詔「然者、吾與汝行廻逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比。」 如此之期、乃詔「汝者自右廻逢、我者自左廻逢。」約竟廻時、伊邪那美命、先言「阿那邇夜志愛上袁登古袁。」後伊邪那岐命言「阿那邇夜志愛上袁登賣袁。」各言竟之後、告其妹曰「女人先言、不良。」雖然、久美度邇興而生子、水蛭子、此子者入葦船而流去。次生淡嶋、是亦不入子之例。(『古事記 上』)❞ →ここで諸々の天つ神はイザナキノミコトとイザナミノミコトの二柱の神に「この漂い流れている国を修めて埋め固めなさい。」と命ぜられ、天沼矛を授けて委ねられました。故に、この二柱の神は、天の浮橋に立ってその矛を下ろしてかき回されました。潮をごろごろと引き上げるときに、矛先から垂れた潮が積み重なって島となりました。これがオノゴロ島であります。 この島に二柱の神がお下りになり、そこに天の御柱を立て、八尋の御殿をお建てになられました。そこでイザナキノミコトがイザナミノミコトに「汝の身体はどうなっているのか?」と問われたので、イザナミノミコトは「我の身体は、出来上がって出来上がりきれていない場所が一つあります。」は答えられました。そして、イザナキノミコトは「我の身体は、出来上がって余っている場所が一つある。私の身体で出来上がって余っている場所を、汝の出来上がって出来上がりきれていない場所に刺して国土を作ろうと思う。生まれるのだろうか?」と言われました。イザナミノミコトは「それは善いことです。」と答えられました。そこでイザナキノミコトは「それならば、我と汝が天の御柱を回り、そこで出会って『美斗能麻具波比(ミトノマグワイ)』をしよう」と言われました。 この時、イザナキノミコトが「汝は右から回って会おう。我は左から回って会おう。」とおっしゃって約束し、その時になってイザナミノミコトがまず「ああなんてすばらしい男だろう。」とおっしゃり、後でイザナキノミコトが「ああなんてすばらしい乙女だろう。」とおっしゃられました。それぞれが言い終わった後、妹神に「女人から先に言うのはよいことでなはない。」と告げられました。とはいえその後「久美度邇興(クミドノオコリ)」をなされて、蛭子(ヒルコ)をお生みになられました。この子は葦の船に乗せて流されました。次に淡島をお生みになられましたが、これも子の数には入れられませんでした。 ・・・右回りと左回りは、『古事記』の冒頭のイザナギとイザナミの営みにも出てきます。 『淮南子』で、北極星を中心に北斗の雌雄の神が左右に分かれて向こう側で出会う軌道と、 『古事記』で、天の御柱を中心にイザナギとイザナミが左右に分かれて向こう側で出会う軌道が一致しています。さらにいえば、雄の方から声をかけるというルールも同じです。向こう側で出会ってから行う『美斗能麻具波比(ミトノマグワイ)』に、わざわざ北斗の「斗」の字をあてていることも偶然とも思えません。 『夫道、有情有信、無為無形。可傳而不可受、可得而不可見。自本自根、未有天地、自古以固存。神鬼神帝、生天生地。在太極之先而不為高、在六極之下而不為深。先天地生而不為久、長於上古而不為老。豨韋氏得之、以挈天地。伏犧氏得之、以襲氣母。維斗得之、終古不忒。日月得之、終古不息。堪坏得之、以襲崑崙。馮夷得之、以遊大川。肩吾得之、以處太山。黃帝得之、以登雲天。顓頊得之、以處玄宮。禺強得之、立乎北極。西王母得之、坐乎少廣、莫知其始、莫知其終。彭祖得之、上及有虞、下及五伯。傅説得之、以相武丁、奄有天下、乘東維、騎箕尾、而比於列星。(『荘子』大宗師 第六)』 →その道とは、情もあり信もあるが、無為であり、無形である。伝えることはできるが、授受をするとこはできない。会得することはできるが、見ることはできない。自ら本であり、自ら根である。未だ天地が存在しなかった古の時代から存在し、鬼を神し、帝を神し、天を生み、地を生んだ。太極の先に在りながら高いと為さず、六極の下にありながら深いと為さない。天地に先んじて存在しながら、その長さを久しいと為さず、上古より存在しながらその経過を老いを為さない。伏犧氏は之を得て、天地を一体とし、維斗は之を得て、古来より変わらぬ道しるべとなった。日月は之をて、去来より変わらぬ営みを休むことなく続ける。堪坏は之を得て、崑崙山へ入り、馮夷は之を得て、黄河を遊ぶ。肩吾は之を得て、泰山に至り、黃帝は之を得て、雲天の世界に昇り、顓頊(せんぎょく)は之を得て、玄宮に居り、禺強は之を得て、北極を守り、西王母は之を得て少廣山に座したままでいて、その始まりもその終わりも知るよしはない。彭祖(ほうそ)は之を得て、舜堯から五覇の時代までを生き延び、傅説は之を得て、武丁を助けて天下を授け、東維の星に乗り、箕の末尾の星に跨って列星に比されることとなった。 荘子の時代から神話世界と天文との関連はあるんですが、古事記は特に星で読めるものが多いので、いずれ続きを。 今日はこの辺で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.01.02 14:52:44
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