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![]() 久しぶりに荘子です。 ![]() 先日、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』を鑑賞しまして、これは当ブログのテーマとも共通する部分が多いので、整理もかねてアップいたします。 ![]() 今回、おそらく多くの人が『君たちはどう生きるか』に関連させて指摘するであろうというのが、C.G.ユングとの関係であろうと思います。大まかにいって、これまでの宮崎作品の印象的なカットのダイジェストを入れ込んだり、宮崎監督の人生に大きな影響を与えた実在の人々をアニメに登場させたりして、いわば宮崎駿の人生を構成する「こころの風景」をアニメーションとして楽しむような作品であると思うのですが、その構造にはユングの思想の影響がはっきりと見えます。 ![]() たとえば主人公の眞人(まひと)は自我、 事実上のヒロインはそのアニマ 鷺男はトリックスター 大叔父は老賢者 母は太母(グレートマザー) 等々。もともと『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』でも使われていたユングの元型(アーキタイプ)の理論が今回も使われています。 参照:Wikipedhia 元型 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B ![]() それと『君たちはどう生きるか』の重要な舞台となる塔のモデルは、ユングがチューリッヒ湖畔に建築したボーリンゲンの塔でしょう。母親と死別したユングがその喪失を乗り越えるために自ら石を積んで作り上げた塔で「最初から塔は私にとって成熟の場所となった。子宮、あるいは、その中で私が再び、ありのままの現在、過去、未来の自分になれる母の姿だったのである」というユング自身の言葉は、『君たちはどう生きるか』における塔の意味とぴったり合致します。 参照:ユングと自然 https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5150/ ![]() ただし、『君たちはどう生きるか』における展開はユングの思想だけでなく、日本の神話世界や東洋思想ををベースにしたものが多いので、宮崎監督と親交もあったユング研究の大家・河合隼雄さんの影響はあると思います。 参照:ユングと河合隼雄の道。 https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5092/ ![]() 一つが、イザナミの死です。『古事記』においてイザナミは火の神カグツチを産んだ後に死んでしまいます。その後イザナミを忘れられないイザナギは黄泉の国まで彼女を追いかけていくわけですが、火事によって失った母を追いかけるという展開は、宮崎監督自身のお母さんの死とも一致するストーリーですが、これを日本神話における「妻の死」とも重ね合わせています。 参照:Wikipedia 黄泉比良坂 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B3%89%E6%AF%94%E8%89%AF%E5%9D%82 さらに、ポスターにもなっている鷺(さぎ)男ですが、おそらくこれも日本神話の死のシーン、天若日子(アメノワカヒコ)の葬儀です。 ![]() ≪故、天若日子之妻、下照比賣之哭聲、與風響到天。於是在天、天若日子之父、天津國玉神、及其妻子聞而、降來哭悲、乃於其處作喪屋而、河雁爲岐佐理持。鷺爲掃持、翠鳥爲御食人、雀爲碓女、雉爲哭女、如此行定而、日八日夜八夜遊也。此時阿遲志貴高日子根神。到而、弔天若日子之喪時、自天降到、天若日子之父、亦其妻、皆哭云、我子者不死有祁理。我君者不死坐祁理云、取懸手足而哭悲也。其過所以者、此二柱神之容姿、甚能相似。故是以過也。於是阿遲志貴高日子根神、大怒曰、我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人云而、拔所御佩之十掬劒、切伏其喪屋、以足蹶離遣。此者在美濃國藍見河之河上喪山之者也。≫(『古事記』上巻五) →天若日子(アメノワカヒコ)の妻、下照比賣(シタテルヒメ)の哭き声は、風と共に荷まで天にまで響き渡った。天において、天若日子(アメノワカヒコ)の父、天津國玉神(アマツクニタマノカミ)と、その妻子がこれを聞いて、降り来て哭き悲しみ、そこで喪屋(もや)を建てて、河雁を食べ物の運び役として、鷺を掃持、カワセミを御饌人、雀を米搗き役として、雉を哭女として定めて、八日八夜の間、歌舞をした。そこに阿遲志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネノカミ)が天若日子の弔問に天からやってきた。天若日子の父、その妻、皆、声をあげて哭いて、「我が子は死なずにここに生きている。」「我が君は死なずにここに生きている」と、その手足をとって声を上げて悲しんだ。阿遲志貴高日子根神を天若日子と見間違えたのは、この二柱の神の容姿が大変よく似ていたためである。それがこの勘違いの原因であった。阿遲志貴高日子根神はこの時、大いに怒って「私は愛する友を弔いにやってきただけだ。なぜ私を穢れた死人と比べるのか」と言って、佩いていた十掬剱を払って、その喪屋を切り伏せ、足で蹴散らした。これが美濃国の藍見(あゐみ)の河上の喪山である。 ![]() 日本の神話において唯一記載されている「葬儀」の記録です。内容は儒教における葬儀とほぼ同じですが、『古事記』ではさまざまな鳥たちに葬儀の仕事を分担させています。このなかで鷺は「鷺爲掃持」、すなわち墓の掃除役を担っています。(また、このお葬式の記述の中に死者とよく似た神が出てきて勘違いするシーンなどとも映画のストーリーと一致します。) 参照:記紀と儒教の葬儀のかたち。 https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201407200000/ ![]() で、もう一つが道教、もしくは老荘思想的な観点です。まずは主人公の名前の「眞人(まひと)」は『荘子』に登場する理想的な人間の呼称です。死を乗り越えた存在として秦の始皇帝もこの眞人を名乗っていますし、道教とのかかわりの深い日本の天武天皇の諡号「天渟中原瀛眞人(あめのぬなはらおきのまひと)」にも使用されています。 ![]() 『古之眞人、不知説生、不知悪死、其出不訴、其入不距、翛然而往、翛然而来而已矣、不志其所始、不求其所終、受而喜之、忘而復之、是之謂不以心揖道、不以人助天、是之謂眞人、』(『荘子』大宗師 第六) →昔の真人は、生を喜ぶこともなく、かといって死を憎むこともなかった。生れてきたからといってことさら喜ぶわけでもなく、死に行くからといってむやみに嫌がるわけでもなかった。悠然として行き、悠然として来るだけであった。どうして生まれたのかを知ることもなく、またどうして死ぬのかを知ろうともしなかった。ただ、生をうけたことを率直に受け取り、万事を忘れて元の場所へ返す。これを、「私心によって道を操ろうとしたり、道を外すようなことをせず、作為をもって天を助けるようなことをしない」というのである。こういう人を真人というのである。 参照:始皇帝と道教 https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201410120000/ ![]() この「眞人(真人)」は『日本書紀』においては厩戸皇子(聖徳太子)の片岡山伝説(飢人伝説)にも聖徳太子のセリフとして「先日臥于道飢者、其非凡人、必眞人也。」とあります。この片岡山伝説は道教における尸解仙の記録でもあり、それを踏まえて『日本書紀』でも「眞人」という道教の用語を使っています。 参照:尸解の世界。 https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5197/ こう見ると、『君たちはどう生きるか』において、宮崎監督のまなざしが「古代の人々の死」に向けられていることが分かります。ユングも禅や老荘思想に大きな関心を持ち、その影響を公言していましたが、『君たちはどう生きるか』における最大のテーマである「死」もまた東洋的な思想をベースにしています。 ![]() 『莊子妻死、惠子弔之、莊子則方箕踞鼓盆而歌。惠子曰「與人居長子、老身死、不哭亦足矣、又鼓盆而歌、不亦甚乎。」荘子曰「不然。是其始死也、我獨何能無慨然。察其始而本無生、非徒無生也,而本無形、非徒無形也,而本無気。雑乎芒勿之間、変而有気、気変而有形、形変而有生、今又変而之死、是相與為春秋冬夏四時行也。人且偃然寝於巨室、而我激激然随而哭之、自以為不通乎命、故止也。」』(『荘子』至楽 第十八) →荘子の妻が死んだ。恵子が弔問に訪れると、荘子は足をだらんと伸ばしたまま、お盆を太鼓代わりに歌を歌っていた。恵子曰く「あなたは、共に子供達を育て上げ、長年連れ添ってきた奥さんが亡くなったというのに、哭きもせずにお盆を叩いて歌を歌っている。ひどいではないか!」 荘子曰く「恵子よ、そうではない。妻が死んだ時には、私だって嘆き悲しまずにいられなかったさ。当たり前じゃないか。だけど、そのうち、こう考えるようになったんだ。人間生まれてくるときは、そもそも命なんてなかった。肉体だってなかった。もちろん、肉体を形作る氣だってなかったんだ。もともとぼんやりしたわけの分からないものから混ざり合っていた状態から、陰陽の気が生じて肉体というのが生まれて、肉体が変じて生命あると考えたのだ。今、妻の体は再び変じて死んでいくんだ。自然に春夏秋冬の移り変わりがあるのと同じように、妻は、天地という大きな空間に安らかに眠っている。それなのに、自分がいつまでもめそめそ泣いていては、天命を知らないことになりやしないかと思って、哭くのを止めたのだ。」 ・・・「大切な女性の死」を乗り越えるというのは、『荘子』の重要なテーマの一つでもあるし、ユングにもその影響が見られます。また、河合隼雄さんが日本に初めて紹介した『千の風になって』の世界観にも通じるものがあり、その意味でも荘子との共通性が見られます。 参照:マスターヨーダと老荘思想。 https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5026/ で、確定しているのがもう一つ。 ![]() <桓公讀書於堂上、輪扁?輪於堂下、釋椎鑿而上、問桓公曰。「敢問公之所讀者何言邪?」公曰「聖人之言也。」曰「聖人在乎?」公曰「已死矣。」曰「然則君之所讀者、古人之糟魄已夫!」桓公曰「寡人讀書、輪人安得議乎!有説則可、無説則死。」輪扁曰「臣也、以臣之事觀之。断輪、徐則甘而不固、疾則苦而不入。不徐不疾、得之於手而應於心、口不能言、有數存焉於其間。臣不能以?臣之子、臣之子亦不能受之於臣、是以行年七十而老断輪。古之人與其不可傳也死矣、然則君之所讀者、古人之糟魄已矣。」(『荘子』天道 第十三)≫ →桓公が書物を読んでいると、輪扁なる車輪を作る職人が「何を読んでいるんですか?」と聞いてきた。桓公は「聖人の言葉だよ」と答えた。すると職人は「その聖人様は生きているんですか?」桓公「いや、亡くなっておられる」職人「なんだ、あなたさまは死んだ人の残りかすみたいなものを読んでいるだけじゃないですか。」桓公が怒って「お前なんぞの身分でわしの学問をバカにするのか、答え次第によっては命はないぞ!」というと、輪扁は「車輪を作るときに、軸をぴたりとはめるためには、ゆるすぎても、きつすぎてもいけません。この技は自分で何度も何度も試して手で憶えていくことでしかできないのです。言葉でいくら言ってもダメでして、ついに私は自分の息子に伝えることすらかないませんでした。自分の経験と勘を継がせる事ができませんし、私の代わりになる者もおらず、七十の今になっても私は車輪を作る仕事をしています。さて、今でも働いて報酬をもらっている私に言わせてもらえば、お殿様の読んでいる本は、今を生きていない死んだ人の書いたもの。いわば、古人の糟魄ではありませんか?」 ![]() 『君たちはどう生きるか』において、嘴の穴をペコペコとはめ合わせたり、自分の息子に継がせる云々というシーンがありますが、あれは荘子で確定。あのシーンを『荘子』の古人の糟粕以外で説明することは不可能でしょう。証拠があるわけでなく、公表されることもないでしょうが、もし『ゲド戦記』を自分ではなく息子にさせると宮崎駿が言ってきたとするならば、老荘思想に造詣が深い「西の善き魔女」は、必ずや『荘子』にあるこの寓話を以て宮崎駿を諭したであろうと、私は確信しています。 参照:ジブリ映画「ゲド戦記」に対する原作者のコメント全文 http://hiki.cre.jp/Earthsea/?GedoSenkiAuthorResponse 参照:アーシュラ・K・ル=グウィンと荘子。 https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5164/ 参照:ル=グウィンと荘子 その2。 https://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5165/ 後で推敲します。 今日はこの辺で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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