神から人へ ◎嘘・偽善・人の弱さについて◎
(嘘をつくことは、どんなときにも許されないことでしょうか)さにあらず。人には常に、隠したきこと、言いたくなきことあらざるや。人の知らせることのみが、正しき選択、策になし。なれば人は、ときに黙し、ときに真と異なりて、多少の歪曲、脚色あらん。なれど、常にそを続けなば、ついには人は信用失いて、己を窮地に追い込み、苦しき境に立つも己よ。なれば心し、嘘をつくなよ。必要なれば仕方なし、人は真実現実を、直視する者、わずかなり。多くは己の都合よきよう、己の利になることのみ見聞く。一つの事実をそれぞれに、己の解釈、注釈入れて、人に語るはその一部のみ。なれば嘘とは、全てが嘘なり。人には事実は表せぬもの。再現するは、虚像偶像。一つの事象に光を当てなば、影もあるらん、死角もできん。人の解釈、そも入らん。あるいは誤解に基づくもあり。なれば、人の話を聞くとき、全てを信ずはあやまち犯さん。人の噂や、井戸端会議、毒にもならぬ陰口悪口、そに耳貸すな。惑(まど)わさるるな。そこに真理のいかばかりある。多くの口を出づるとき、人の汚れをまとわん。人は多くを語るなかれ。語るは言霊正しく表す、清きことばをのみ語るべし。人の許さる語りとは、人をいたわる慰めと、心和(なご)ますことばのみ。他は心の汚れを映す、虚飾に満ちし虚言、妄言。神の祝福受けたくば、神への感謝を祈りに表せ。いかなるときも神を敬い、神への帰依を忘れるまじ。さなる心の正しき者なら、ことばも清く、音も涼しからん。 嘘偽りを咎(とが)むにあらず。人の語るに真実なければ。神の戒(いまし)め、諌(いさ)めらるるは、人の偽善のことばなり。 己の嘘に気づきもせずに、己の正義を妄信す。さなる独善、慢心こそは、ときに罪なり。害を及ぼす。人の多くの忠言は、なかなか神の心に適わず。真摯に人のため思うなら、徒に優しきことばにあらず、ときに厳しきことばも必要。なれど、そこにも我の入らば、そは偽善なり。自己満足のみ。神の手伝い望みなば、己の考え、判断交えず、ただに神にゆだねるべし。神との縁を結ぶのみにて、余計ないたわり、慰め入るるな。そにて充分、神を助けん。神のお役に立ちぬるべし。 人の嘘とは、他愛なきもの。己をかばうためならば、他を傷つける意図なくば、神も許して、見逃さん。なれど、嘘にて人を苦しめ、人の不幸を増すものならば、神は許さず、禊(みそ)ぎを課されん。嘘とはいずれは暴かるるもの。必ず露見し、粛清されん。なれば、神は何もせで、自然の摂理に任せ待つのみ。人の儚き虚偽虚構、神の前にはかげろうの如。鏡の像を見紛(みまが)うことなく、真の姿を見極めるべし。己の弱さを責めるなよ。人とは全て、脆(もろ)きもの。弱さも脆さもあるがまま、人の全てを許し賜う、神の慈愛に感謝捧げん。弱さを責める意味もなし。弱さを補う強さのあらば、何の不足も不便もなからん。欠けたるものを嘆くより、今あるものを慈(いつく)しむべし。自ら非難し、指弾(しだん)するより、過ち認め、償う努力を。人への誠の悔いと詫び。己の弱さを見つめる強さ。そこそが次の一歩とならん。自足し努力を怠ることこそ、人は恐れて戒むべけれ。さにて本日嘘をつく人の弱さについて教えたり。向上進歩に務めるべし。さにて。神の声を伝える人ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/