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野次
弁論発表時には聴衆から弁士に対してさまざまな野次が発せられます。弁論になじみのない方は想像しかねるものかもしれません。国会答弁でもちらほら野次が発せられますが、あれのもっと強烈なものを想像してください。 野次の定義としては「弁論発表中に聴衆から弁士に対して発せられる文句」としておきます。野次をするかどうかは聴衆の自由ですが、まったく野次の来ない弁論は珍しいといえるでしょう。弁士は野次に応答する必要はまったくありません。というより、野次を無視して弁論を続けなければなりません。 野次にはどのような効用があるか、考えてみます。 1 : 弁士成長助成説 弁士の成長を助ける、という説です。つまり強烈な野次をぶつけることにより、その野次に耐えうる強靭な精神力を持った弁士を育てるということ。 2 : 活気説 野次があったほうが活気が出るという説。野次がないと、弁士が一方的にしゃべっていて、聴衆は静かに聞くだけ、となってしまうので、確かに活気は出てよいといえる。 3 : 自己満足説 弁論(弁士)に対するやり場のない憤りを野次を発することで解消するという説。もともと文句を言うことはそれだけでストレス発散になるものだ。野次ってほとんど叫んでいるようなものだし。 4 : 弁士攻撃説 野次ることにより弁士を精神的に追い込む、また弁士の主張がおかしいことを野次でもって審査員や他の聴衆に知らしめるとする説。そうやって自分の大学の弁士を有利にしようとするのかな。 別にどれかひとつの効用しかないわけではない。1~4すべての効用があるだろう。ただ、4を主要な目的とするなら濫用のような気もする。最近の弁論大会ではあまりに野次がうるさすぎて弁論が聞き取れないほどである。これでは迷惑なだけである。野次るのもよいが程度をわきまえてなければならない。 さて、野次にはどのようなものがあるだろうか? 1 : 弁論文句型 弁論の内容に関して文句を言うタイプ。野次というのは短くあるべきなので、内容を踏まえた文句というのはなかなかに難しいといえる。さらに、弁士がしゃべってすぐ野次を飛ばさなければならないため、内容を理解して、文句を考えて、しかも短くまとめるというプロセスを一瞬のうちに行わなければならず、頭の回転の速さが要求される。ハードな要求であるが、野次とは本来このタイプであるべきだと考える。 2 : 弁士態度非難型 弁士の態度を非難するタイプ。弁士が原稿を読んでいれば、「弁士前を向いてしゃべれよ!」「弁士現行を読むな!」といい、弁士の声が聞き取れなければ、「弁士聞こえないぞ!」「もっとでかい声でしゃべれよ!」という。他にも弁士が質問に答えあぐねていれば、「弁士しっかりしろ!」など。もはやこれらは定型句と化しているので1のタイプより多いほどである。これはこれで意味があるし、よい野次だが、程度問題だな。 3 : 無意味型 内容を取り違えたために的外れになった野次、本人以外意味のわからない言葉にまとめられた野次(某W大学の弁論部の野次で「どこ見ていっているんだ!」というものがあるが、他の人にとって、もちろん弁士にも、意味不明な野次なのでやめてほしいと思う。「現実に起こっているどのような現象を根拠としてそのような主張をしているのか?」という意味なのだろうが・・・)、など1・2に当てはまらないすべての野次。 なれないうちは2のタイプが無難である。しかし、やはり1を目指すべきである。短くまとめるのは困難だが。 それにしても最近の野次はうるさすぎる。うるさすぎて弁論が聞き取れないほどだ。これでは本末転倒である。弁士の声が小さい、という問題もあるのだろうが、やはり野次のほうも程度をわきまえなければならない。「野次禁止」や「野次抑制」の弁論大会もあるが、あまり効果は上がっていない。 野次の目的はわかったようでやっぱりわからない 所信表明 あまりにも醜い世界だった。 あの野次の数々 「人の話は黙って聞く」 そう、道徳の時間教えられなかっただろうか あまりにも大人気ない野次の数々 話している内容が聞き取れない 自分達だって、あれだけ野次が飛び交えば聞こえないだろう 聞こえなくていいのか・・・ 丸山氏が吼えたのも、それは当たり前のような気がする 舛添さんが「あれでも大人しいものだ」なる感想を述べていた 国会ってどんな世界なんだろう。。。 与党だろうが野党だろうが、 ああやって野次る人達の中に自分の選んだ議員がいたとしたら・・・・ 普通の神経では勤まらない世界なんだなぁ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.04.06 18:17:16
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