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ぽっぽやのむすめのブログ

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2013.05.21
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【プロジェクトX】 ラストファイト 名車よ永遠なれ (前編)

http://www.youtube.com/watch?v=mIEZDPSQMzk

富士精密工業 

 前身は中島工業 

あのゼロ戦を作った飛行機屋だった

プリンス・・・・・・・日産との合併が  迫られていた

中島飛行機の工場で車作りが始まった

日本初の 1500ccのエンジンが積み込まれた

生まれたのが  名付けて《プリンス》

3年後 トヨタが量産で追い上げた

プリンス・・・・・・・・・・ついに  60馬力エンジンをつける、

山道も行ける車・・・・・・・・・・・その《山の稜線》を 名付けた

その名は 《 スカイライン 》 

中川たちは映写機生産を捨て社名を  プリンス自動車工業と改めた

「自動車で 勝負するぞ」

悪路ばかりの日本 2年後、名神高速道路が出来る

これからは 10kで何時間でも走れる車しか通用しない

中川は言った

高速で勝つには独創的開発あるのみだ

車両設計の櫻井眞一郎は奮い立った

第一回日本グランプリ自動車レース

(昭和38年・5月3日・4日  鈴鹿サーキット)

開催の知らせが入った

94馬力・クラス最高のスカイラインで 参加した

{  改造しない } という事前の申し合わせを

他社は 無視していた

スカイラインは・・・・・惨敗

8位に終わった

優勝したトヨタは全国紙で結果を宣伝

・・・クラウン・コロナ・

スカイラインの営業マンは

客に「嘘つき」と呼ばれた

「何が最高の馬力だ、負けたじゃないか」

・レースの怖さを思い知らされた・

中川良一は 会長に怒鳴られた

「改造しないでレースに挑むとは

馬鹿正直にも・ほどがある!

会社を潰す気か!!!」

始末書を書かされ、減俸処分を

言い渡された。

昭和38年6月

長く苦しい闘いが始まろうとしていた

【次のグランプリで 雪辱する】

馬力アップの為大きなエンジンを載せよう・・車両を20cm・・伸ばそう

1年後には外国車の輸入自由化が

迫っていた

国は外車メーカーに対抗する為

国内のメーカー合併に動いていた

レースで勝たなければ

小さな うちは  危ない

危機感があった

スカイラインのボデイを真っ二つに切断

94馬力から一気に150馬力突破へ

オーバーヘッド・カムシャフトの

エンジンを組み込んだ

しかしまだ・・・馬力が足りない

世界中のエンジンの文献を調べた

気化器(キャブレター)を増やせば

馬力が出る

3ヵ月後 3連気化器のエンジンが

出来た

皆が言った「あれをやろう」

飛行機の時代

初めてエンジンを回す時には

必ずやっていた『火入れ式』

神主は設計の榊原

お神酒を掛け  祝詞をあげた

やることはやった

「天の神・地の神・火の神様

よろしく御願いします」  と

152馬力を  ついに達成

《 スカイラインGT 》   が 

完成した

しかしレース監督の青地は悩んだ

大手のトヨタや日産は

自慢の高速コースを造っていた

だが プリンスには

そんなものはない

一人が言った

「鈴鹿に  行かないか」

東京から鈴鹿までは430km

皆でレース車に乗り込んだ

深夜 10時間の道のり

暖房の無いレース車

真冬の深夜

気温は氷点下

だが  心は 弾んでいた

寒くて口にはマスクをした

朝 鈴鹿に着いて すぐに

試験走行が始まった

ドライバーは 砂子義一

スカイラインの速さに驚いた

日本車では不可能とされた

1周 3分を切った

そして 第2回 日本グランプリが

鈴鹿で 始まった

ライバルが乗り込んできた

そのとき

信じられない車が現れた

怪物だ・・・自動車には見えなかった

・・ ポルシェ 904  だ

自動車大国 ドイツの レーシングカー

昭和39年 5月3日

こうして

決勝レースが  始まった

最高時速18キロの

7台のスカイラインが

トヨタや日産を引き離した

しかし  前を走る車がいた

ポルシェ ・・・・・・・・・・・

負けられない!

6周目  ポルシェが

周回遅れの車に戸惑った

その時

・・・スカイラインが・・・抜いた

しかし 僅か 1週で 抜き返された

桁違いの速さだった

結局 スカイラインは2位

昭和40年1月

日産に 吸収合併されるとの

会長の宣告が降りる

通産大臣が動き

 強い要請だった






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最終更新日  2013.05.22 00:52:48
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