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2005.05.30
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カテゴリ:その他
はてさて、あふぉなブログを書くことでしか生きていけない小生であるが、こうして溜める癖があるらしい。どこぞの小説家が「書きたいから書くのではない。書かねばならぬから書くのだ」そう言ったのを覚えて、作者名は忘れた。さっそくダメ出しが出そうな内容で申し訳ないが、言いたいことは「書かねばならない」状況にないヤツはどうやって書くことになるのか、だ。

書かなくていいのだろうか。
でも書きたい。
それでも「必要に迫られ」なければ書く理由足りえないのだろうか。

つくづくバカな男だ。
書いていて思う。前から思っていたのだが、やはりバカである。この男。
「あたしさー。なんていうの? 大器晩成型なんだってー。だからー、これからなんだって。これから」というガン黒女よりバカである、小生は。
いや、まてよ? 確かガン黒で20の女社長のブログが流行っているらしいから、ガン黒のあり得ない夢を見ている少女を比較に出すのは甚だ危険であろうか。
では何を例えに出せばいいだろう。
股間のライトセーバーを武器に戦い、惜しくも敗北を記した偽アナキンとでも比較対照すればいいのだろうか。

てゆーか、そのレベルじゃないとダメなの??

脳が緩んでるのがわかって頂けたとは思う。
そんなことをいいつつ、実はリアルでは真面目だったりする人間がこの世には存在する。小生の場合裏も表もお気楽極楽ネコまっしぐらならぬ、バカまっしぐらなのだが。そういう人はどちらが本当の自分なんだろうか。
例えばネットでは「アツイ! ヤバイ! 間違いナイ!」と言っている人がいたとしよう。いや、現実にいたのだからもはや仮想ではないが。まあ、いいや。続けよう。で、その人は一歩家をでたら、決して人前では「デンプシーロール」の試しうちをしなくなる程、真面目を絵に描いたような男だったとしよう。
そして、ネットでは飽くまでネットの性格を貫き通し、実社会でも真面目を貫きボロはださなかったとしよう。そうなると、その人は少なくとも他者から見れば「そういう人」だと完全に思われていることになる。つまり、世界的に「そういう人物」として認知されたと言い及ぶこともできよう。だから、そういう二面性を使い分ける男はどちらが本当の自分である、という判別はないに等しいのだ。

なんて言い切れる程バカではない。
今の文章において甚だ欠いたことがある。
本人の認識である。どちらが本当の自分かなんぞ最終的には自分の判断に委ねられる処が大きい。これは演じてる自分。これは純粋な自分。その自己判断で結構カタがついてしまうものが殆どだろう。
じゃあ、問題定義なんてするな? 全くその通りなのだが、なぜかこうなってしまったので、とあるケースを分析したいけど出来ないからちょっとだけ考えてみよう。演技の「プロ」という人は役を演じるとき限りなく自分を役に近づけるため、時として感極まって自分をその役の人物なのだと本当に錯覚してしまうことがあるらしい。本当に「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と悩むのだそうだ。もちろん、一般の人から見たら「はぁ?」だが、そういうことが確かに存在するらしい。とちょっと極端な話に及んでしまったが、先程あげたスーパーフ…じゃない、二面性を持った彼が限りなく二面性においてプロフェッショナルを貫き通すがために、そういう現象に陥ったとしたらどうだろう。家の敷居をまたぐ度に、それが自分だという認識が変わるのだ。
とここで、それは二重人格じゃないのか? と思われるだろうが、果たしてそうなのだろうか。それを話すのにおいて、先程の役者の話をもう一度検証するのがいいだろう。
そのハムレット役の人はハムレットと自分の二重人格になったのだろうか?
否。その人はハムレットを演じるとき以外自分をハムレットと認識はしなかったそうだ。もちろん舞台が終われば自分を取り戻す。つまり「共感」「思い込み」による「強催眠」状態にあったというのが正しいと思われる。そうした場合スーフリ…彼はどうなるのだろうか? どちらが本体でどちらが思い込みなのだろう? 
1:「本当は真面目。その真面目な実直さを活かしてネットで違う人物を演じきれるかどうか試してみようとした」
2:「本当はノリのいい人柄。その性格で幾度も失敗を重ねてきたため、仕事に適した人物を演じてみようとした」
どちらもありそうな感じではある。1は広くロールプレイと呼ばれる類のものだろう。2は経験を活かした処世術と言えなくもない。もはや他人が考察できるものではなくなっているように思える。また自己判断はない。そういう強催眠なのだから。答えは本当にないのだろうか。いや、それがあるのだ。
敢えて語らないで置いたが「記憶」というものがある。それは誰でも有するもので、決してその覚える行為は他者から侵害されはしない。がそれを操る手段がないわけでもない。「催眠」である。この術にかかると、平気で人は自分の記憶を改竄してしまうとさえ言われている。もちろんテレビに出てくるようなああいう催眠術ではなく、医学的根拠も含んだ催眠である。催眠療法などという言葉も昨今巷で聞くことも多いだろう、あれである。それによると、本物と強催眠により生じた自分というのには一つだけ「有無」の違いが生じるのだそうだ。それは何か「自覚」である。つまり本物の自分は、自分でない自分「催眠状態の自分」があることを「自覚」しているのに対し、「催眠状態」の自分はそれ以外の状況の自分のことを一瞬たりとも考えないのだという。いや、思いもよらないのだろうか。人に聞かれたとて曖昧な表現しかしないというデータもあるらしいし。まあ、そういうケースの実験は色々社会的・人間的問題も多く資料も少ないようなので、小生が一抹の結果を練りだすためにでっち上げた話程度に話半分に聞いておいてくれて構わない。けれど、そういうことらすぃよ。
よって、どちらが本物かを判別するには「各々にその状況以外のことを尋ねて、ある程度明確な解答が戻ってくるか否か」を調べれば良いことになる。

とまあ、何を書いてるのかわからんが、甚だバカな想像しか出来ないらしい。
特命係長只野仁とかの見過ぎなんじゃないか。
ふとそんな思いが浮かんでは消える。





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最終更新日  2005.06.01 18:29:20
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