弥生のムラでしみじみ思ったこと
帰郷中、田深川の堤をよく歩きました。朝は日の出を、夕暮れにはあかねいろに染まった山を眺めながら、このまま田舎に居つくか、いや自信がないなと自問し、ガタついている家の修理や家族のことをあれこれ考えました。コスモスの花が揺れている堤の先には“弥生のムラ・安国寺集落遺跡公園”があります。所在地は大分県国東市国東町安国寺。弥生時代の集落跡や土器・木器などが大量に見つかったところで、とりわけ二重口縁の幅広い部分に櫛目模様を施した土器に特徴があり、安国寺土器と呼ばれております。また、弥生時代の炭化米を出土した遺跡として、東の「登呂遺跡」に対して「西の登呂」と呼ばれ脚光を浴びたことがあります。中学か高校時代、発掘学習にかりだされた記憶があります。平成13年(2001)当時の写真使用。平成4年に国指定史跡に指定され、平成10年体験学習館、平成13年3月に全体が完成しました。国史跡地20,600平方メートル、隣接地22,800平方メートルと広く、その用地取得と施設づくりに国と県から多額の援助を受けました。しかし、立派な道路があるけれどバスの便はない。公園は健脚の持ち主とマイカー族以外の人たちにはきわめて冷淡です。古代史への関心を寄せる人は多いと思いますが、現地に足を運ぶことを考えると二の足を踏む。来場者がいっこうに伸びない理由の一つでしよう。オープン行事でお祝いの歌を歌ってくれた故アルバーソ・チカ君の「お客さんがくるといいね」といった声が耳に残っています。そこからわが家がある旦過地区まで1キロ。そこにある古い古い家です。雨漏りの箇所が増えているようです。専門家にたしかめてもらうと、下地のカヤも相当いたんでいるから、基礎から葺かなければならないとの診たて。茅は数千束必要。屋根師は遠方から招かなくてはなりません。数年前、「弥生のムラ」のイエが数棟、台風で吹き飛ばされ、新しく葺き替くのに大金がかかりました。公表された数字は目をむく金額でした。とてもとても・・・。では、トタン板をすっぽりかぶせるか。こんな風にしますかと業者が見本をみせてくれましたが、大金がかかります。結論は宝くじが当たるまで、先送りにしました。帰阪直前、雨漏りしている奥の間の畳を上げ床板をめくりました。少しでも長生き、いや長持ちしてください、とお願いしながら…。2008/10/12