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私は今まで、健康医学の道をひたすら歩んできましたが、「ホスピスを作りたい」というのは、医者になった当時からの願いでした。
病院は、社会復帰できる人たちを対象としています。最後の日を過ごすところではとうていありません。 「これは、人間の死に方ではない。このような状態で、死んでいってはならない」、そのように、強く感じていました。 「ただ、死ぬときだけ人間らしく生きれればよいのか。むしろ、元気なときも、自分らしく、本当の自分を生きることが大切ではないか」。 そのような思いも強く、まず、健康医学の確立の道を選びましたが、もう一つの理由は、当時は、死の恐怖から自由にはなれていなかったからです。 死んでいく患者さんから、死の恐怖を訴えられたときも、また諦めに満ちた眼で見つめられたときにも、何も答えられませんでした。 死の問題に対して、明確に答えられないままで、臨床医として、患者さんの前に立つことは、私にはできませんでした。 現在あるホスピスは、宗教、特にキリスト教によるホスピスが殆どです。それは当然のことでしょう。キリストを信じる人にとって、死は天国か地獄への通過点でしょう。 この世との別れは嫌ですが、行くべきところがあります。たとえ天国ではなくて地獄であっても、死の向こうに何かがあることを信じられます。 しかし、宗教を信じられない人はどうするのでしょうか。 現在の私たちの常識は、「死んだら灰になってお終い」です。死んだら一切が虚無です。空しさです。虚無では、たとえホスピスができてもつらいものでしょう。 身体的な痛みは取ってくれるので、それは大いに助かります。人間として扱ってもらえますので、「私」の尊厳も保てます。 しかし、心身の痛みが少なくなるだけ、むしろ死と向かい合わなければならない時間が増えます。虚無を見つめなければならない時間が長くなります。 医者も看護婦も、どう対応すれば良いのでしょうか。がんで亡くなる方が年間30万人近くにもなるのに、宗教以外でホスピスがなかなかできないのはこのためでしょう。 「死は本当に終わりなのですか?」、「それは、唯物論に過ぎないのではないですか?」、そのような問いをしてみる必要があります。 「死んだらおしまい」とは、一切、証明されていないからです。私たちは、科学的な証明なしに、「死んだらおしまい」を信じています。 本当はどうなのか、それを明らかにしましょう。それが、ストレス解決医学「生かされてる医学」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.11.15 10:29:57
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