ホテルオークラJRハウステンボス・サイラー☆彡プレミアム食パン
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April 16, 2021 コメント(4)
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全30件 (30件中 1-10件目) スペイン
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
左側がin Spainで右側がin Japan。 (靴のデザインは異なりますが、ヒールは同じくらい) 皆様にはどうでもいいことと、思われますが、膝下、特に足首から脹脛にかけてが如実に太い! 体重はin Spainの時の方が2-3kg痩せていた・・・ 侮れない・・・ 着圧ストッキングって効果ありなんだろうか・・・・ 今、写真をみていると、脚だけじゃなくて、寝ぼけてるとばかり思っていた顔も、むくんでいる!
May 8, 2008
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
マドリードに戻り、スペイン最後の夜は生ハム専門店に行く。 一階はBarになっていて、地元の人たちで随分賑わっている。 お店の名前のガラス越しに生ハムがブロックのまま、収納されているの、見えますか? まず、サラダが運ばれてきた。 レタスに紫キャベツ。 そして、イタリアンのランチ時に使われるような大きなお皿にびっしりの生ハム。 この時点では4人前だと思っていた。 お皿が全然透けて見えないんですけどぉ? が、次から次へと同じ大きさのお皿が運ばれてくる。 もしかして・・・・これが一人前ですか? 私は生ハムは好きだし、決してお安いものではないので、有り難味はわかっている。 でも・・・これは・・・数えるとお皿には16枚の生ハムが・・・ あとで喉が渇くんじゃ・・・ うわっ、おいしーと思えるのはまず3枚。 5枚食べたら他の物が食べたいなぁと思ってしまう。 サラダとスープしかないもの。 レタスと一緒に食べたりする。 10枚食べる頃には・・・「別に生ハムじゃなくてもいいんですけどぉ」って気になっている。 別の物を注文するにも、ご覧下さい、生ハムばっかりで、どうも口直しになるような物はなさそう。 周りのテーブルを見ても、スペイン人たちもやっぱり生ハムを食べていてそれ以外の物を食べている人はいない。 やっぱりないんだー。 私は12枚でgive upした。 ロシアの朝食で生ハムが出たときにたくさん食べた人がお腹を壊したので、ちょっと不安になる。 母は生ハム好きで16枚完食した。 あなた、本当に私の母なんですかー。 量は多すぎたが、やっぱりスペインで食べた物の中で一番おいしかった。 明日、帰国する。
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May 6, 2008
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
マドリード市内観光もそこそこにトレドに向かう。 12-13世紀のトレドでは、ユダヤ、イスラム、キリスト、それぞれの宗教からエリート集団が形成され、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳された。このことが中世ヨーロッパのルネサンスに大きな刺激を与える。 宗教を越えて共存できるなんて素晴らしい! 数年後フェリペ2世がマドリードに遷都した時、「死に値するほどの打撃」であり、トレドは衰退しはじめる。 それにしても、要塞都市と言う感じで中世に戻ったようだ。 高い城壁でぐるっと囲まれている。 衰退して置き去りにされたから、中世の街なみを残すことができたのか。 まず、エル.グレコの描いた「オルガス伯の埋葬」のある、 サント.トメ教会。すごい人で絵の前はおしくら饅頭状態。 この絵の中にはエル.グレコ自身も描かれているし、たくさんの参列者は当時大金を払って描いてもらったそうだ。勿論、顔の向きや位置によっても値段は違っただろう。 最も美しいゴシック建築と言われるトレドの大聖堂。 中が素晴らしいそうだが、駆け足ツアーなので外から写真を写して終了。 ここ近くには有名なユダヤのシナゴーグもあって、それがアラビア風建築で外からはシナゴーグだとわからないそうだ。 キリスト教ならゴシックとかロマネスクとか独自の建築様式があり、仏教だって、イスラム教だって、たいてい建築様式が決まっているのに。 ユダヤ人は自分の国を持てなかった為、その国、その国のルールに従ってシナゴーグを建てた。 マドリードと違って緊迫感がないので、ずーっとぶらぶら歩く。 結構な距離を歩いてきたと思う。 石畳は脚にけっこうダメージを与える。 私は底の分厚いウォーキングシューズだったので、歩いたなぁと言う程度の疲労で済んだが、底の薄いタイプの靴を履いていた人たちは腰まで痛いと言って、座り込んでいた。 9世紀にアラブ人によって建てられたアルカンタラの橋。 途中、バロック真珠なんかを扱う宝飾店に寄った。 寄木細工や小物なんかもあった。
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May 2, 2008
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
マドリードに滞在した日、ブランドのブティックはお休みだった。 (土日祝日お休みさせていただきます)が多いのだ。 土日祝日お休みなんて日本では考えられない! そこで活躍するのは日本人御用達の免税店。 ミハス以外は殆ど自由時間もなく、買い物できるスポットへは行っていないので皆様買い物モード全開。 そこそこの品揃えで対応もいい。 私はバルセロナの空港に降りた時、ロエベの前を通りかかり(まだ開いていなかった)買うならこれにしようと思っていたバッグがあった。 それとピアスを買おう。 それまでフォリフォリは可愛いけど、シルバーだから手入れが面倒そうと敬遠していたが、全然お手入れ不要で下がるタイプの物が多いので今は気に入っている。 フォリフォリはギリシャのブランドだが、スペインでフォリフォリデビューすることとなった。 husのネクタイを3本ばかり見繕って持っていたら、ツアーの方に「あら、お父さんにお土産ね。偉いわね」と言われる。 どうなってるんだ。面倒なのでそのままにしておく。 マドリードで買ったロエベのバッグはヴィトンほど重くないのにとても頑丈で雨でも風でも気にしないで持てる。その後、色違いの物を2つ買って、通勤用にしている。 使い勝手もいいし、気にしなくていいし、日傘をパッと入れられるのがいい。 三越で買う半分の値段で買えた。 (フォリフォリのピアスも半額くらい。レコパンのネクタイは1/4くらいだった。)
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May 1, 2008
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
プラド美術館のセキュリティは物々しかった。
ベラスケスの「マルガリータ王女」 マルガリータ王女はいかにもハプスブルグの顔立ち。 エル.グレコは「ギリシャ人」と言う意味のニックネーム。 ギリシャ出身だから。 ラファエロの絵は赤、ブルーがいつものとおり美しく、顔が優しい。 時間がないので、ピンポイントでどんどんまわる。 いつも思うことだが、通常鑑賞するのに何日もかかる美術館をこんなかたちで駆け足で、それも有名な絵画に絞ってピンポイントで見て歩くなんて、これが芸術鑑賞だろうか。 もし、フリーで自分で行って、数日間かけてその美術館を見てまわったらもっと違った感激があるだろうか。 現在のマドリードは非常に治安が悪いらしい。 その昔、スリと言えばロマの人たちだと言われた時代があったが、今は旧ソ連や旧ユーゴスラビアからの「出稼ぎ」が組織的に行なわれているという。 よって、ぶらぶら歩くなんてことはさせてもらえない。 観光ポイントにバスはなるべく近くに横付けされ、バッグは両手で押さえるように言われる。ハードスケジュールで寝ぼけていたが、ここは大都会だし、ガイドさんがこれだけ言うのだから危ないのだろう。ちょっと緊張してきた。
大々的に骨董市をやっているstreetがあった。 人がたくさんいていろんな物がおいてありそう。 「もし、ここで自由時間を設けて皆さんに歩いてもらったら、今の格好で戻ってくることができるのは20人中2-3人でしょう。彼らはナイフを持っていて、バッグの紐は簡単に切られ、お財布が入っているかもしれない服の部分は切り取られます。怪我しないで戻ってこられたらラッキーです」 こわすぎ・・・ロマの人たちがグループでスリをやっていた頃は子供数人が旅行者を取り囲んでバッグの中に手をいれるだけだったではないか・・・ この結果、マドリードの写真として残っているのはバスから撮影した町並みと、レストラン内部くらいになってしまった。
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April 30, 2008
カテゴリ:スペイン
ピカソの傑作のひとつ、ゲルニカはヨーロッパの戦火を避け1939年にニューヨーク近代美術館に渡った。
思っていたよりもとても大きいサイズの絵で芸術のわからない私にもその迫力は伝わってくる。 流石にここの警備員の方々の制服はパリっとしている。 スペイン現代史はピカソ、フランコ、ファンカルロス1世の存在抜きには語れない。 ベネズエラのチャベス大統領を一喝してニュースにもなった現国王は軍事政権下フランコ将軍に16歳で引き取られる。(家族はイタリアに亡命中) それからの20年間「フランコの後継者」としての仮面をかぶりつつ、フランコの死後、見事に王政復古を成し遂げた。 チャベス大統領に「黙れ」と言うくらいなんでもなかったろう。 16歳の少年が家族から引き離され、殆ど幽閉に近い生活。 王族であるにも関わらず、フランコによる軍事独裁の継承者たるべく教育され、 実は王政復古を狙っていた。 ソフィア王妃はギリシャの王女ですね。 ヨーロッパ各国王室の離婚、醜聞の話題となると必ず、ソフィア王妃を見ろと言う結論になる。 生まれながらの王族。 ファン.カルロス1世に「彼女はプロフェッショナルさ」と言わしめた賢妃。 ランチはタパス。 昨夜は中華料理で一度リセットされたので、かなり楽に食べられた。
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April 29, 2008
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
ヴィクトリア ベッカムはマドリードに住みたくないとただこねましたね。 AVEを降りると50代くらいの口ひげをはやした地味ーなおじさんが立っていた。 この可愛らしい日本人のおじさんがガイドさんなのー? おじさんはすぐに私のスーツケースをひいてくれて、優しい。 「スペインはいかがですか?」 いかがもなにも・・超ハードスケジュールで何がなんだかわかんないんですけど。 それもアルハンブラでスペインおじさんにタックルまでしましたからね。 ガイドさんは本当に思いっきり、笑って、 「私はマドリードに住んで20年以上になりますが、女性にタックルされたことは一度もないし、スペインの男性が日本人女性にタックルであっても抱きつかれるなんて、それはとても、とてもラッキーなことだと思います」と言っていた。 そうは思えませんが。 本日はこれから中華料理を食べ、ホテルに入るだけ。 だって、フラメンコショーの翌日、朝、セビリアからスタートですよっ。 セビリア→コルドバ→マドリード。 一日が長い。 朝から晩までオリーブオイルたっぷりの料理もかなり辛くなってきた。 中華だってあっさりしてるわけじゃないのに、何故かとても新鮮だ・・・ 首都だけあって、車も人も多い。 確かにパリほど洗練されているわけでもなく、ローマのようにしゃれているわけでもない。 バスから見る建物、モニュメントはわりと酸性雨の影響を受けたまんまだったりする。 そして、やっぱり男女ともシワくちゃの服、バサバサの髪の人が多い。 なぜ? なんと、レアルマドリードのオフィシャルショップと言うものがあって、アクセサリーまで売っている。
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April 28, 2008
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
コルドバで大阪弁のガイドさんの話でゲラゲラ笑った後、AVEに乗り込む。 駅のエスカレーターはこんな感じで非常に傾斜がない。
そして、いよいよAVE登場。 鉄道マニアではないものの、ずっと、ずーっとバスなので新幹線に乗れるのはとても嬉しい。 中の写真も撮っておけばよかった・・・ 日本の新幹線の座席とは違って、回転させることはできないタイプで向き合っている。 間には小さいテーブルがある。 おしゃべり好きなスペイン人にはこのスタイルが好まれるんだろうなぁ。 私たちの席は2等だったようだが、日本の新幹線なみに快適だった。 さすがに車内販売はなくて、食堂車に行ってオーダーして食べるなり飲むなりする。 2時間。通り過ぎる駅でスペインの人たちの日常を見る。 それが悪いと言うのではなく、スペインの人は概ねシワくちゃな服、多少ぐちゃぐちゃな髪は全く気にしていない様で旅行先にもヘアアイロン、ホットカーラーを持っていく自分がバカバカしく思えた。 ![]() ![]()
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April 27, 2008
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
長い歴史の中でイスラムのモスクがキリスト教会へとかわる。 アルハンブラの次に楽しみにしていたのがメスキータだった。 イスラムの時代、人はこのアンダルシアでどのような生活をしていたのだろう。この辺りはサンタクルスも近い、ユダヤ人街は賑わっていただろうか。 レコンキスタでイスラムが終われ、その後黒死病が流行った時に「ユダヤ人が井戸に毒を投げ入れた」と彼らは迫害、追放された。 鐘楼の高さ93m 要塞の様な高い城壁が続く。 歩いているとみるみる靴が白くなってきた。 メスキータのシンボルと言うべき円柱の森。 なんだかエキゾチックでロマンを感じるのはマニアックすぎか。
床は結構砂だらけだ。 しましま模様はところどころ傷んだり、はげたりしている。 これでいいのかなー。 アルハンブラにしてもメスキータにしても、もう少し、手をかけてもいいのではないか。 キリスト教側は大聖堂として使用しているので比較的キレイに保たれている。 カトリック信者の方々もたくさん来ていらっしゃる。 皆様真剣にお祈りをしているので、写真を撮るのがはばかられる。 スペイン人ガイドさんのおでこ。 日本語がお上手だが、大阪弁である。 十字軍の遠征の頃、アラブ文明は西洋文明より遥か先を行っていた。 123この数字だってアラブの発明。 入浴の習慣もアラブが先。 イスラム都市だった各都市が陥落した時、人々はどうしたろう。 これからAVEでマドリードに行く。 本日もハードです。
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April 26, 2008
テーマ:ヨーロッパ旅行(4057)
カテゴリ:スペイン
細くてくねくねした迷路に迷い込む。 一見、真っ白な壁に花が飾られ「かわいい」街という風情。 窓は人の目の高さよりも遥かに高く、中を覗うことができないようになっている。 不自然なくらい開放的な空間はなく、全て閉じられ、言われなければ中庭が存在することすらわからない。 イスラムの時代、ちょっとばかり割高な税金を払い、ユダヤ人はここで自治権を持ち、財産を持ち、宗教の自由を謳歌できた。(寛容の時代) グラナダ、ミハス、セビリアと南部に入ってから異国情緒いっぱいで中世にtimeslipしたかのようだ。 道幅がとても狭いのでちょっとふっくらめの欧米人とすれ違う時はどちらかが止まって壁に張り付かなければならない。 (たいてい道を譲っているのは日本人、勿論)
小さな食器のお店があって、黄色やブルーの色とりどりのボウルやお皿が並んでいた。 こんな燦燦とした太陽の下で暮らしているなら、きっと素敵に食卓を彩ることだろう。 日本の我が家でこれを出したら、かなり浮いてしまいそうな気配。 サンタクルスのクルスは十字架です。 聖なる十字架の街。
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