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カテゴリ:つれづれ
昨日中国新聞が打った記事は,どうやら頭出しというか,そろそろバカな広島市民のほとぼりが冷めただろうというところを計ろうとした記事と,今は私は見ている。それが証拠に,今日は全くそれについての記事はどこを探してもなく,記者の論評すらない。しかも,WEB版中国新聞の見出しが当初「「スポーツ複合型」は候補外」だったのが,「サッカー施設の再考余地残す」に急遽差し替えられていることからも自明である。さぞかし松井一實を筆頭とした広島市役所と中国新聞に救う似而非平和主義者や,跡地利用で甘い汁を吸おうとしていた財界と,カープで商売したい財界の首根っこを押さえているあの松田元のバカは臍をかんでいることだろう。
由緒正しきよそ者広島人からみて,広島市民のバカなところは,「文化芸術」などという美名に弱いことである。しかも,もっと救われないところは, 「文化」とか「芸術」というものが価値序列の中で上位に位置しているという重大な勘違いをしていることである。 だから,その言葉を出しさえすれば水戸黄門の印籠や遠山金四郎の桜吹雪のように,すべてをひれ伏させると彼らは勘違いしているのである。しかし,行政,特に予算取りの場ではそんなに甘いもんじゃない。特に今回の問題では財務省折衝も重大な論点であることは提起したところである。まあ,実際は財務省的にもあの場所はアンタッチャブルに近いだろうから,さっさと売っ払えと圧力をかけることはないだろうが,国有地である以上その利用方法には国民が納得できる説明をする義務を彼らも負っているのだ。今回は財務省との予算折衝との話にはならないだろうが,仮に予算折衝の話になってこういう案を持ち込んだとしたら,きっと財務官からこう言われるだろう。 「文化芸術」,ふーん,で,何するの?何ができるの?具体的な案はあるの? バカな広島人と似而非平和主義者はその時点で撃沈である。そう。彼らに具体的な「文化芸術」の素案など持ち合わせていない。まあゼロ査定間違いなしだろう。 不肖この私が「文化芸術」を推す方々に問いたいのは,あなた方はいったいそこで何をしようとしているのかという点である。それが全く見えてこない。プチ国立劇場なのか。プチNHKホールなのか。プチサントリーホールなのか。それともプチ歌舞伎座なのか。文化だの芸術だの言いながら,各論の議論を全く提示しない。これは卑怯である。議論に参加するためにはまず各論を提示すべきである。そうでないと賑わい創出とか採算という肝心の問題に踏み込めない。最もそれが彼らの思うツボなのであろうが。 そして,もうひとつ,最大の核弾頭を打ち込むとすれば, いったい誰がどういう公演を主催するのか。賑わいとお金を生む興業を持ってくることができるものが,この広島にいるのか。 私の突きつける回答はもちろんNein!である。そんなの資本主義を知らない広島人にできっこない。ちなみに,かつて中国新聞の読者投稿で広響の常設ホールにすべきという中国新聞の誘導見え見えの投稿があったが,彼は音楽を知らないということが丸わかりだ。だいたいフェニックスホールという広島人が大好きな平和公園の中にあるホールで常打ち興業を行っているのである。それはさておき,広響専用のホールなんか作ったって,採算なんか取れるわけがない。広響はフェニックスホールだけで興業をやっているわけではないのである。はつかぴあやリーデンローズという広島県内でそこそこ大きなホールでの興業もあれば,広島市県内の中小ホールでの弦楽四重奏トリオなどのまあ言葉は悪いがあまり金にならないドサ回り興業もやっているのである。それは株式会社であるサンフレッチェやカープと異なり,公益法人である広響のレゾンデートルなのである。それに鑑みれば,専用ホールを作ったって定演ができるのはせいぜい年に10回程度。サッカーは年に17試合しかやらないから都心の一等地にはもったいないというバカがいるが,これではもっと効率が悪いことになる。もちろん,フィルハーモニーや楽友協会のように,その存在自体が観光資源になると言うことは,残念ながらあり得ないだろう。その穴を埋め,それこそ365日稼働するためには,他の一流オケやトップスターのショーを誘致しなければならないだろうが,はっきり言う。 広島市民諸君。資本主義を知らない君たちには無理だ。 悔しかったら,反論してみろ。まあできまい。 最後に,現時点では私の独自の見解に過ぎないが,松井一實はじめ似而非平和主義者どもの思惑を突きつけてみる。彼らが欲するのは,文化でもなければ芸術でもない。それはまさしく美名である。もちろん文化芸術目的でも使わせてやるという前提は崩さないにしても, 真の狙いは,平和公園に接続する平和記念ホールの建築だと読んでいる。 いうまでもなく,平和記念式典は8月6日であって,毎年朝8時とはいえ酷暑の中行われる。だんだん被爆された方も高齢化してきていることは事実だし,何といっても世界にこの式典を誇示するために多くのVIPを呼ばなければならない。このままだと被爆者の方は出席を躊躇し,VIPも来てくれなくなる危険性もある。それで,空調の効いたホールで執り行うこととして,少しでも快適な環境で行いたいという思惑があるのではないかと読んでいるのだが,どうだろうか。 最初は反核平和を前面に出して折り鶴芝生公園にしようとしていた連中が,そう簡単に自らの利権を手放すわけがない。それが私の推測の根拠である。これだけは付け加えておく。 本決まりになるまで徹底的に追及する。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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