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カテゴリ:つれづれ
今日は二十四節気のひとつ,大寒である。暦でいうなら寒の真っ最中ということもあるが,このところの寒波のおかげで今日もまた強烈に冷え込んだ。そして昼からは雪もちらつき,今も雪がちらついている。また積もるのではないかと思うと,少しくうっとうしい。下手をすると日曜日に行われる天皇杯ひろしま男子駅伝も雪に見舞われそうな気配なのであるが,それはさておき。
疲れた。肉体的にではなく精神的にくたびれた。仕事ではない。今日からいよいよ我が子の中学受験の本番が始まったのである。結果がどうなるかはともかくとして,これほど精神的にくたびれるものかということをつくづくと思った。はっきり言って,まだ自分が試験を受けた方がましだ。もちろん入学試験というものに,特に大学受験には辛い思いでしかない私にとってやれと言われても二度と御免蒙るとしかいいようがないし,各種資格試験にチャレンジする気力ももはやないのであるが,それでも自分で自分の結果に責任が持てるということはなんと気安いことかとさえ思ってしまう。 私は初詣やらなんやらで神仏に祈るときは,たいがいサンフレッチェとカープの日本一を始めとしてまあ神仏があきれるくらいの多くのことを祈願しているのであるが,昨年から今年にかけては,本当に受験成就の一願に絞った。とにかく私に出来ることは少々勉強に付き合うことを別とすれば,本当に祈ることしか出来ない。今日も我が子が試験に取り組んでいる時間は,もちろん仕事中ではあるが神仏に,そして亡き母と昨年天上界に行ってしまった愛犬に願いを捧げたものである。もちろん,それで成就するくらいなら世話はないことくらい分かっているのであるが,それがまさにもどかしさというものである。 まあ,そんなことを言っていると上杉鷹山公に叱られそうだ。ナセルはアラブの盟主なりけり,もとい(古いねえ),成らぬは人の為さぬなりけり,である。為せば成る,それを信じて突き進むことに意義があるのだろう。しかし,やっぱり目先の結果はほしい。特にヒロシマという街にいるとあまり公立教育に任せておけないことはよく分かるので,少しでもよい環境の学校で伸びやかに育ってほしいと思ってしまうのである。 夜になって,また一段と寒くなっている。とにかく風邪だけは引かないようにしよう。ましてやインフルをもらってくるなどもってのほかである。 でも,話を戻すようだけれども,二十数年間も「為さぬ」を「成らぬ」にすり替えてほっかむりしてきたプロ野球チームがありましたなあ。昨年結果を出したのは,本気を出したのかそれとも狂い咲きだったのか。あと二か月半もすれば分かることではあるが。 為せば成る。為さねば成らぬ何事も。 BlogPeopleSIGMA People (告知) 姉妹サイト「ろー・ふぁーむ・かるぴおANNEX」もよろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/01/20 09:53:32 PM
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